蓮  光  寺

  ともに いのち かがやく 世界へ      浄 土 真 宗 本 願 寺 派    

     いのち見つめるお寺       見つめよういのち、見つめよう人生。教えに遇い、仏さまに遇い、自分に遇う。

阿弥陀経をいただく

仏説

 「仏説」とは、仏であるお釈迦さまによって説かれたということです。仏とは覚者、目覚めたもの、真理をさとったものです。煩悩を断ち、その束縛から解き放たれたものです。煩悩に染まらない真理の言葉であるのです。
 私たちの身の回りにはたくさんの言葉が説かれています。新聞には社説、電化製品には解説がつけられ、本屋さんに行くと小説があります。私たちの身の回りにある多くの言葉は、人間の言葉です。言葉は私たちが生きてゆくにはなくてはならないものです。言葉によって勇気をもらったり、励まされたりすることもたくさんあります。生きる支えになる言葉もあります。しかし反対に言葉によって傷ついたり、悲しんだり、絶望の縁にまで落とされることもあります。たった一言の言葉が人のいのちを断ってしまうこともあります。私たちが使う言葉は多くの場合、煩悩に染まっています。
 しかし、このお経は「仏説」です。煩悩の染まらない真理をさとった身から語られた言葉です。それは私たちを惑わせたり、困らせたりする言葉ではありません。煩悩の身をさとりにいたらせるために語られた言葉です。

如是我聞

私はこのように聞かせていただきました。
  中国からある大学へ留学している方に、ある住職さんが中国は漢字の国ですので、この『阿弥陀経』の経文を紙に書かれました。それを見た中国の方は「よく分かる」と。そしてこの「如是我聞」という言葉を何と訳するかとたずねると、「わたしの心の中に新しい世界が生まれて来ました、という意味ですね」とおっしゃたのです。「このように聞かせていただきました。」と訳されるものだ、と思っていたものですから、みんなびっくりしたのでした。わたしは「なぜそういう訳になるのですか」と聞くと、その方は『聞』は心にきこえてきたことをあらわす字なので、聞いたことによって心が新しく新鮮に開かれてきたと訳すのです。」と。『聞』という字を使って表したかったことは「仏様の光によって、私の心の闇が明るく新しい世界が開かれること」なのです。
 お香のかおりを「聞く」つまり「聞香」、お酒の「聞き酒」をする(利も使われますが聞が本来)など、変わるときに「聞」と使います。サンスクリット語から直訳した方は『私の心の闇が、光によって解き放された』と訳します。

七重欄楯 七重羅網 七重行樹

また舎利弗、極楽国土には七重の欄楯・七重の羅網・七重の行樹あり。みなこれ四宝 周帀し囲繞せり。このゆゑにかの国を名づけて極楽といふ。
また舎利弗よ、極楽には七重にかこむ欄楯、七重におおう羅網、七重につらなる並木がある。そしてそれらはみな金・銀・瑠璃・水晶の四つの宝でできていて、国土の至るところにめぐりわたり、とり囲んでいる。それゆえにその国を極楽と名づけるのである。

七重欄循

極楽は金・銀・瑠璃・水晶でできた欄楯に七重に取り囲まれているという。欄楯とは石でできた巨大な柵である。現存するサンチーの仏塔を取り囲む欄楯やバールフットの欄楯等をみると人の背丈を遥かに超える、2メートル超えの巨大なものである。ゾウよけといっていい。当時最強の軍隊だったのがゾウ軍である。中国などの極楽の解釈は欄干として説明されてきた。極楽浄土をあらわす絵図などにも欄干が描かれてきた(右下)。須弥壇の欄干もそれに由来するものだろう。しかしインドでは手すりや装飾のたぐいではない。




左はブッダガヤの欄楯とバーフフットの欄楯。右は蓮光寺にある阿弥陀経曼荼羅に描かれる七重の欄干、かつての理解は欄干とされていた。


六鳥

極楽浄土には様々な色の鳥がいます。
阿弥陀経には六種の鳥の名があげられます。
白鵠、孔雀、鸚鵡、舎利、迦陵頻伽、共命之鳥

白  鵠
白  鵠

白鵠(びゃっこう)
白鳥または天鵞(てんが)ともいわれる、鶴のような白い美しい鳥です。極楽浄土の六鳥は常に和雅の声を出して、人々に仏を思わせるのですが、この白鵠は姿の美しさでも人々を教え導きます。透き通るような美しさは浄土と仏の清浄性を象徴しています。
 孔雀(くじゃく)
実在の鳥でもあります。美しさで人を魅了します。醜いもののない浄土を象徴しています。また、毒蛇やサソリ、毒虫を好んで食べるので古くから益鳥として尊ばれてきました。さらにこのことから毒や煩悩を払う象徴としても敬われ、大事にされてきました。密教では孔雀明王の名で信仰対象にもなっています。インドでは国鳥にも指定されています。

孔  雀
孔  雀

鸚  鵡
鸚  鵡

鸚鵡(おうむ)
頭に冠羽とよばれる飾り羽根があり、曲がった太いくちばしが特徴です。人の言葉を真似る鳥として有名です。次に出てくる舎利も人の言葉を真似します。そのことから仏典には鸚鵡と舎利の二種類の鳥は人の言葉を理解する賢い鳥として登場します。鸚鵡は仏法を説く鳥としてお浄土に飛んでいるのです。
舎利(しゃり)
シャーリカの音写です。九官鳥に類する鳥で、全身黒く、人間の言葉を覚える賢い鳥とされます。鸚鵡とともに人の言葉を理解し、仏法を人の言葉で伝える賢い鳥としてお浄土にいるのだそうです。この六鳥の中では一番小さな鳥です。

舎  利
舎  利

迦陵頻伽
迦陵頻伽

迦陵頻伽 (かりょうびんが)
カラヴィンカの音写で、妙声・好声・美音・妙音鳥などと漢訳されます。殻の中にいるときからよく鳴き、その声はきわめて美しいという鳥です。聞いて飽きることない美しい声によって法を説く鳥です。顔は人の顔、身は鳥の姿です。
共命の鳥(ぐみょうのとり、ぐみょうちょう)
命命鳥とも言われます。 身体は一つで、頭が二つに分かれている烏で、まさに命を共有する鳥です。顔は人の顔、身は鳥の姿であると言います。どんなに顔かたちが違っても、離れていても、関わりないようであっても、命はつながっているということを示してくれます。

共命鳥
共命鳥

写真はいずれも蓮光寺前卓の六鳥の彫刻。
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