蓮  光  寺

  ともに いのち かがやく 世界へ      浄 土 真 宗 本 願 寺 派    

     いのち見つめるお寺       見つめよういのち、見つめよう人生。教えに遇い、仏さまに遇い、自分に遇う。

 法  話

浄土をいただいて生きる

浄土をいただいて生きる
 「浄土真宗」とは「浄土を真の宗として生きる」つまり「お浄土と本当の依りどころとして、いただいて生きていく」ことをいうのです。 
 阿弥陀如来さまは私たちに「浄土をいただいて生き、浄土を目的地として歩んで来なさい」と願われています。
 この世のいのちには必ず限りがあります。しかし、お浄土をいただいて生きるものは、そのいのちの終わりは「死」ではなく、限りなきいのち、お浄土への誕生となるのです。限りあるいのちが限りなきいのちに生まれるということです。帰る処、行き先がはっきりしているから、いつ死が来ても不安になったり不幸になることはありません。 安心していのちを終えることが出来ます。
 また同時に、お浄土という真実をいただいて生きるということは、このいのちがお浄土に生まれさせていただき、仏に仕上がるいのちだと知らされて生きることです。今をどう生きるかが問われます。お浄土はさとりの世界です。その有様に照らして我が身の生き方を考えてゆくのです。今を豊かに生きていくのです。

仏法を身にうける

 仏教を学んで大切なことは、仏法を我が身に受けとめることです。時折「今日のお話は善かった。主人にも聞かせてやりたかった」あるいは「とてもいいお話しでしたが、わたしには出来そうもありません」等といった意見です。
 これは仏法を自身のこと、我が身に聞いていないのでしょう。身についていないのです。その原因の一つは私たち僧侶が、頭で理解して説いて来たからであるのかもしれません。
 ハワイの仏教系高校の先生が「私たちは毎日の生活の中でいかにみ教えが生きているかを確認するためにお寺に行きます。本当はみ教えを聞く場はお寺に参るときだけではなく、毎日の生活の中にあります。み教えを聞き身につける要因は日々の経験の中にあります。その自覚を持ち、日々の生活の中でみ教えをいただいてください。」と高校生にメッセージを送っています。
 教えを聞く場はお寺に参るときだけではなく、毎日の生活の中にあるのです。お釈迦様は私たちの苦悩の解決のために教えを説かれたのです。私たちの日常生活は苦悩の連続です。毎日の中で教えをいただかないと教えと生活がばらばらになってしまいます。仏法を我が身に聞かせていただくのです。お寺で我が身に聞かせていただいた教えを日々の中で生かし、日々生活の中で教えを聞き、それが生かされているか確認するためまたお寺で聴聞をかさねるのです。

明日ありと

明日ありと思う心のあだ桜
           夜半に嵐の吹かぬものかは

 この歌は9歳の松若丸、後の親鸞聖人が詠んだ歌と伝承されます。出家得度のため9歳の松若丸は叔父、日野範綱につれられ、東山粟田口の白川坊(現在の青蓮院あたり)に着いたのは日も暮れた頃でした。戒師となる慈円僧正に得度の式をしてほしいと願い出たところ、「もう日も暮れたから明日にしては」との答えでした。そこで詠まれたのがこの歌です。
「門前には美しくサクラが咲いています。しかしもし夜中に嵐が吹けばあの美しい桜も散ってしまうでしょう。同じように私のこのいのちも明日あるという保証はありません。是非、今日のうちにお得度を。」との願いを詠んだのです。
 相次ぐ戦乱、まれにみる飢饉のこの年、9歳の幼い松若丸にもいのち無常のことわりは痛いほど感ぜられたのでしょう。
 明日があるからと、何事も先延ばしにしてしまう私。様々な理由をつけて、今すべきことをしない私。本当に今日のいのちを大事にしているか。そう教えられます。
 現在も本願寺派ではこの親鸞聖人の故事に習ってお得度式は夕刻行われます。御影堂では蔀戸がしめられ、暗くなった堂内にぼんぼりの明かりが灯され、ご門主様より剃刀をあてられて得度式が行われます。
 2月27日、蓮光寺新発意、順真は本願寺御影堂で得度式を受けました。

聞く地蔵と聞かぬ地蔵

 昔々、ある村に一人の年とった坊さんがやって来まして、
「私は二体の地蔵様をもってきた。東の山の上と、西の野原とに一つづつ据えておいたから、お前たちお参りするがいい、」とその坊さんが言いました。そして「東の地蔵は少々無理なことでも願をかけると、きっとかなえて下さる“聞く地蔵”様、西の地蔵は願をかけても、めったに聞き届けて下さらない“聞かぬ地蔵”様じゃ。」村人にこう言いました。お坊さんは「もう一つ言うておかねばならんことがある、聞かぬ地蔵にお参りするのがいいのだぞ。」こう言ったかと思うと、もうそのお坊さんの姿は見えなくなってしまいました。
 村人はおそるおそるその両方のお地蔵さまに祈ってみました。「聞かぬ地蔵」は確かにただだまっているだけでしたが、「聞く地蔵」に願ったことは、ことごとく実現していったのです。
 このことを聞いた村人は、皆「東の地蔵」にお参りするようになりました。山の崖でありましたが道を切り開き、茶店までできるありさまで、村人達はお坊さんの言ったことも忘れて聞く地蔵ばかりお参りするようになりました。「豊作でありますように」「病気を治してください」「お金持ちになりますように」そのおかげで、村には病気もなくなり、豊かになり、立派な家が建ち並ぶようになりました。
 しかし何でも願いが叶うものですから、皆一生懸命はたらかなくなりました。そして皆が金持ちになってしまうと、隣のうちより豪華に、もっと金持ちにと願うようになり、なぜあいつもおれと一緒に金持ちなのか?とねたみもおこり、そのうちに村人は互いに比較しあい、さらに悪いことには、誰かが、隣人の不幸を願うことになってしまったのです。
「あいつが病気になりますように」「あの家に不幸が訪れるように」と祈りだしたから、たまったものではありません。あんなに豊かで幸福な村は一挙に不幸のどん底に落ちてしまったのです。
 そこへあの坊さまがふたたびやってきたのです。
「だから西のお地蔵さまにお参りするほうがいいといったではないか」
それを聞いた村人は、やっと目が開き、西の聞かぬ地蔵さまにお参りすることにしました。何の願い事もせずただ無心にお参りするだけにしたのです。
 村人たちは再び一生懸命に働くようになり、長い時間かかって村は又だんだんしあわせな、平和な村になりました。

田あれば田に憂へ

「欲心のために走り使はれて、安き時あることなし。田あれば田に憂へ、宅あれば宅に憂ふ・・・・田なければ、また憂へて田あらんことを欲ふ。宅なければまた憂へて宅あらんことを欲ふ・・・たまたま一つあればまた一つ少け、これあればこれを少く。斉等にあらんと思ふ」
(『仏説無量寿経』)

宮商和して自然なり

親鸞聖人のご和讃に

 清風宝樹をふくときは
 いつつの音声いだしつつ
 宮商和して自然なり
 清浄薫を礼すべし

とあります。お浄土には清風つまり清らかな風が吹いて木々の間を吹きわたるとき、宝石で出来た木々の葉や枝を揺らし、五つの音が奏でられるというのです。五つの音声とは、宮商角徴羽の五つの音です。
 この五つのうち宮と商は今の音階で言えばドとレの音に当てはまります。宮の音は素晴らしい音です。また商の音もすばらしい音です。ところが宮と商つまりドとレの音は一緒に奏でられると不快な音となって聞こえてしまいます。不協和音となるのです。
 その不協和音となる宮と商の音も、お浄土では素晴らしいハーモニーとなって聞こえてくるというのです。それが「宮商和して自然なり」なのです。今私たちの生きている世界では人はそれぞれ顔かたちも違い、性格も異なり、個性を持った生き方をしています。しかし時にぶつかります。一緒にいると不愉快におもったり、争いもあります。お釈迦様が怨み憎む者と会う苦しみを八苦の一つとして上げられたように、会うことも苦しく感じることもあります。
 しかしお浄土は煩悩に染まらないところ、煩悩が滅せられるところです。そこではかつて不協和音としかならなかった者同士も素晴らしいハーモニーとなってくださるのです。
 清浄薫とは阿弥陀如来のことです。煩悩に染まらない清らかな薫りによっておさとりの世界お浄土に引き入れてくださるから清浄薫というのです。そんな如来さまを帰依礼拝いたしましょう。

祖父の死

祖父の死
中2 宇佐美智瑞(長野 善法寺)  
祖父の死が私に
様々なことを教えてくれた

祖父の死それは
祖父の優しさを知った瞬間
祖父はいつも笑顔で優しく話しかけてくれた

祖父の死それは
祖父との思い出を
思い出させてくれた瞬間
いつも座っていたマッサージ椅子に
祖父の姿がない
家に行った時「きよく来たね」と
手を握ってくれたのに

祖父の死それは
死と真剣に向き合えた瞬間
動かなくなり冷たくなった祖父

祖父の死それは
祖父の思いを知った瞬間
祖父の死から一ヶ月後
祖父から遺言状が届いた

孫たちへの手紙
「私たちは尊いいのちをいただいている
いのちを大切に
無量のいのちのおかげで生きています
『いただきます』の言葉を大切にしよう
人が人で生きれることがありがたい」

祖父の死
私は祖父との思い出を大切にしたい
祖父の形見の衣
この衣に袖を通すとき
孫として恥ずかしくない人でありたい
おじいちゃん ありがとう

【西本願寺御正忌報恩講 第58回全国児童生徒作品展 特選 作文・詩の部】

親鸞聖人数えうた

一つ 日野はよい所 松若様の誕生地
二つ 二方なき後に 小さな君の御なげき
三つ 短いいのちぞと 九才の春に御得度
四つ よそ目も痛ましや 比叡の山の御修行
五つ いかでか世の人を 救わんものと雲母坂
六つ 難し修行をば 捨てて吉水たずねけり
七つ 南無阿弥陀仏こそ まことの道をときたまふ
八つ 山路の御苦労 今日も旅路に草まくら
九つ この世の人々に 尊きみ教え広めけり
十で 永世に伝うべき 親鸞さまの法の跡

身自ら之(これ)を当 (う)くるに、代る者あることなし

「災難が来ぬように祈るのが信心ではない どんな災難が来ても引き受けてゆける力を得るのが信心です。」というもの。誰しも災難に会いたくない。災難に会いたくないから宗教を信じている人も多いであろう。よく宗教とは「除災招福」といわれるように、災いを除き福を招く ものだと思っている人も多い。しかし、本来、仏教は除災招福を説かない。災難がこないように祈る宗教ではない。『仏説無量寿経』に「身自ら之(これ)を当 (う)くるに、代者あることなし」とあるように、与えられたものは引き受けるしかない。誰も代わってくれる者なしである。仏教で説く救いとは、苦しみがな くなることではない。苦しみを乗り越えていくことである。今まで苦と思っていたことが苦でなくなっていくことを意味する。また苦しみの現実が変わることではなくて、 苦しみの現実を引き受け、苦を乗り越えて力強く生きる身となることである。

悲しみから南無阿弥陀仏

『浄土文類聚鈔』に「群生を悲引す」、「正信偈」には「像末法滅同じく悲引す」とあります。引とは、ご和讃に「縦令一生造悪の衆生引接のためにとて」とあるように、引接ということです。救いとって浄土へ、そしてさとりへ導くことです。悪を作り続けるこの私を、阿弥陀さまは悲しみの心、慈悲の心で導いてくださるのです。
 自分とのつながりが近く強いほど、悲しみは深くなります。遠くの国で名も知らない、何のつながりもない人がいくら悲しんでいても、私は悲しくて泣くことはありません。自分とのこころの距離が近く、つながりが強ければ強いほど悲しみは深くなります。
 阿弥陀さまは私をご覧になって深い深い悲しみの心を起こされました。私のことをとてつもなく近く、「もろもろの衆生において視そなわすこと自己のごとし」と、自分のこととして慈悲の心を起こされたのです。
 慈悲の「慈」という言葉の語源はマイトリーです。友愛、最高の友情という意味合いです。ここには、「かわいそうだから」というような上から下へというこころはありません。同等、対等の立場から起こさずにはおれないおこころなのです。「悲」の語源はカルナーです。痛み、悲しむということで、もともとは「呻き声を上げる」という意味の言葉です。私の悲しみ苦しみに呻き声をあげて一緒に泣いてくださるのです。一人だけで悲しませ、苦しませることはしない、自分も一緒という同悲、同苦のお心です。阿弥陀さまは、私の悲しみ、つらさや苦しさをすべてご存知で、我がこととして呻き声をあげ、涙しておられるのです。
 阿弥陀さまが悲しんでおられるのは、私が悲しい、苦しい時ばかりではありません。思い上がっている時も、仏さまに背を向けている時も、煩悩のとりこになってる時も悲しんでおられるのです。

南無阿弥陀仏は仏さまをほめる言葉

昨年も多くの言葉を戴きました。とくに父、蓮光寺前住職の往生に際しては皆様からお悔やみの言葉、励ましの言葉、心温まる言葉などたくさんの尊い言葉を戴きました。
 わたしも多くの言葉を言いました。振り返ってみると中には人を傷つけたり困らせたりした言葉もまります。こんな言葉に出会いました。

 悲しいのは人を責める言葉
 素晴らしいのは人をほめる言葉
 南無阿弥陀仏は仏さまをほめる言葉

悲しいのは人を責める言葉
 人を責める言葉は悲しいものです。子どもがせっかくいい点を取っても、出来ていないところを見つけてここはコンなんじゃだめ、もうちょっと頑張らんとと責めていまいます。ほめることをせず、あらを見つけて責めることをしがちなわたしです。人を責める言葉は責められた方も悲しいのです。同時に責める言葉を言った者も後で悲しくなります。

素晴らしいのは人をほめる言葉
 ほめる言葉は聞いて心地よいですね。自分のことはもちろん、人をほめる言葉を聞いても何となくうれしくなります。
 でもほめる言葉って意外に難しいものです。そう思ってもいないのにほめることはできません。変にほめてもほめることにはなりません。
 私の言葉は皆煩悩に染まっているから、ほめる言葉も難しいものです。
 南無阿弥陀仏は仏さまをほめる言葉
南無阿弥陀仏と言う言葉は阿弥陀さまのわたしへの救いの言葉です、そして同時に、世界中の仏さま方が阿弥陀さまをほめる言葉です。私の口からは人をほめる言葉はなかなか出てきませんが、南無阿弥陀仏ということばは仏さまのおはたらきによって私の口に上ってくださいます。
 煩悩に染まった言葉しかこの口に上らない私に、阿弥陀さまは仏さまをほめる言葉を届けてくださいます。南無阿弥陀仏は仏さまをほめる言葉です。
 

また来ます

 安楽浄土にいたるひと
 五濁悪世に還りては
 釈迦牟尼仏のごとくにて
 利益衆生はきわもなし

親鸞聖人はご和讃に、お浄土にお生まれになった方は私たちの五つの濁りの世に還ってきてまるでお釈迦様のように人々を導いてくださるとお示しくださいました。仏教婦人会の創設者九条武子さんは、関東大震災で自らも被災されながら一命をとりとめられ、被災者救援に力を注いでおられましたが、敗血症になられわずか42才で亡くなられました。病の床に、兄にあたる木辺孝慈、木辺派の門主が臨終の枕辺においでになり、妹、武子さまに臨終のご説法をされました。
「武子よ、あなたとは最早この世の人としてはお別れせねばなりません。後生のことはいかがでしょうか。どうぞお慈悲にすがってお浄土にお参りなされますように。お浄土にまいられ、直ちに仏のさとりが開かれたなら、どうか再びこの娑婆世界に還って弥陀大悲のおいわれをお伝えなされるよう。お釈迦様の変わらぬおはたらきが出来るのです。ご開山上人は
「安楽浄土にいたるひと
 五濁悪世に還りては
 釈迦牟尼仏のごとくにて
 利益衆生はきわもなし」
と仰せされてあります。あなたもどうぞお釈迦様の通りに還っていらっしゃい。お待ち申しております。」こうおっしゃいました。すると武子さまは「また来ます」とおっしゃったのだそうです。
 「また来ます」お念仏申すものは、今生の縁つきることが永遠の別れではありません。お浄土へ生まれると直ちにさとりを開き、すぐさま再び還ってお釈迦様とかわらぬはたらきをしてくださるのです。また還ってきてくださるのです。

帰る世界

 人生は旅そのもの
 旅であるからには
 帰る世界を
 持たねばならぬ  三木 清

 今のこの人生が旅のようなもの。楽しみもあれば苦労もある、ハプニングも受け取り方によってはいい旅の思い出だ。暖かい人との出会い、美しい風景との出会い。美味しい料理もそうだ。旅が充実する大事な条件のは帰る家があること。帰る家のない旅は旅にならない。人生も同じだという。
 時々葬儀などで「これから死出の旅に」とか「旅立ちです」などと聞くことがある。しかし私たちお念仏を申すものはこの人生を終えて旅に出るのではない。この人生が旅だから、旅を終えて帰って行くのがお浄土なのだ。だから私たちは旅装束や六文銭もいらない。
 旅を終えて帰って行く世界、お浄土があるとは安心です。お浄土はまた懐かしき人と会える世界、倶会一処の世界です。お念仏申すものはお浄土という世界があるのです。
 楽しい旅はいつまでも続きません。必ず終わりがあるのです。さらに旅は突然の日程変更もあれば中止もあります。でもそんな時も帰る家があるときは安心です。帰って行ける世界、また懐かしい人に会える世界が、旅の後にあるのです。

未来に対して  責任を

信の人は
 未来に対して
 責任を
 とらなければなりません (アルフレッド・ブルーム)

 共命鳥という鳥をご存じですか。命をともにする鳥、お浄土の鳥として阿弥陀経にも登場します。頭が二つ、体は一つの鳥です。人はそれぞれ顔かたちは違ってもみんなつながっている、いのちはつながっていると教えてくれる鳥です。一人が毒を食らえば他の人にも毒がおよぶ。他の人を傷つければ自分も傷つく。みな深いつながり、かかわりをもっているというのです。近くの人も遠い国のひとも、愛する人もそうでない人も、皆深いつながりがある。昔の人も未来の人も深く関わりがあるのです。もっといえば世界のあらゆる命とわたしはつながっているということです。
 この鳥は仏教の根本にある縁起という教えを象徴的に表しているのです。関係のない命はない、すべての命が関わり、つながり、支え、支えられて存在しているのです。世界という大きな目から見れば、私のこの命は大変ちっぽけないのちですが、全世界につながる命でもあるわけです。それは全世界のあらゆる命のつながりに責任を持っているということにもなります。
 原子力発電所から出るゴミは処理ができません。使用済み核燃料は水にいれてずーっと保管しています。どんどんたまる一方です。そのほかのゴミも処理する方法も処分場もありません。どうなるのでしょう。それでも再稼働、核のごみは将来の私たちの子孫に対して大きくのしかかってきます。その再稼働のニュースを見ていて娘が「私たちのこと全然かんがえてない」とつぶやきました。さらに憲法をかえて軍隊をというニュースをみて、娘は「今はすぐには戦争にならないかもしれないけど、わたしたちや私の子供の時にはどうなってもいいっていうのかね」といいました。
 政治家はやったことの責任をとってやめることができます。しかし私たちは未来の子供や孫、ひ孫、おおくの子孫に責任を負っているのです。やめてすむ問題ではありません。
 信の人は
 未来に対して
 責任を
 とらなければなりません
この言葉は念仏者の生き方、方向性を教えてくれます。

さりながら

 露の世は 
  露の世ながら 
   さりながら  
          小林一茶
 「この世は、露の世だというのはわかっていた、露の世とわかっているのだけれども、そうなのだけれども、……。」
 一茶は信濃の人。浄土真宗の信心の篤い人でした。お寺でご法話もよく聞かれ、この世は露の世であることもよく聞かれていました。
 私たちもご葬儀などに読まれる御文章を耳にします。「我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、元のしずく、末の露よりも繁しと言えり。」一茶さんも何度となく聞かれたことでしょう。この世は露のようにはかない世だ。この命はいつ終わるか、誰が先にゆくかわからない命だと。しかし、幼い娘を亡くした一茶は、「そうとはわかっていたのだけれども……」と、この句を詠んだのです。
 「さりながら」とは無常とわかりながらも、自分よりも先に命終えていった娘の死を受け入れがたい一茶の心情です。
 やがて一茶は、愛娘の死を受け入れられない自分を、また幼くして無くなった娘をも、必ずお浄土に生まれさせ、仏にさせると誓われている阿弥陀さまのおこころに気づかれていったのでしょう。「さりながら」娘も、またこんな自分をも、摂め取って捨てない阿弥陀さまのお慈悲があるのだと。

仏法に出会えてよかったね

 新年のご挨拶を申し上げます。新しい年に新しいいのち恵まれたこと喜びたいものです。あなたと私が出会うことができたことうれしことです。そしてなにより仏法と出会えたことうれしいことです。
 年末にテレビで危険な生き物を紹介する番組がありました。熱帯の海に生きるイモ貝という貝です。ハブがいとも言われ、一つの貝で30人が死に至る強い毒をもった貝です。さされたら、浜の真ん中までたどり着けずに倒れてしまうのでハマナカーという別名もあるそうです。地球にはいろんな危険な生き物がいますね。アマゾンには群れでおそって獲物を食べる軍隊あり、川にひそみ、大型の獣をたべるワニ、アナコンダという大蛇もいます。
 アマゾンを訪れた日本人が質問したそうです。何が一番怖い生き物ですかと。ワニですか?いいえ、軍隊ありですか?いいえ、アナコンダ?いいえ、何ですかと問うと、
 「人間です」と。アマゾンの生き物はどんな恐いものでもお腹が一杯なら獲物に見向きもしません。でも人間は金や欲のために他の生き物を限りなく殺します。そしても人まで殺します。思いどおりにならないからと争いを起こします。正義や意地のために人を殺します。自分とは直接関わりのない人まで殺します。
 縁次第で何をするか解らない、最も怖いものが人間です。
 人間は様々なものを作り出しました。素晴らしいものもたくさん作りましたが、人を殺す道具、武器は数えるときりがありません。それによって滅んでゆくのも人間なのです。便利なものもたくさん作りましたが、有害なものもたくさんばらまいて、自ら危険に瀕しています。
 宗教はそんな恐ろしい人間をコントロールする役割を持ったものです。人間の生き方が問われるものです。外国に行ったら「あなたの宗教は?」と聞かれることがります。日本人は「 無宗教です」とこたえる方がおおいようです。でもそれは最も怖い答えだそうです。「わたしは自分の怖い心をコントロールするものを持っていません」と答えるのも同じだからです。
 わたしたちは今年もお念仏の教えに出会うことができました。この欲深い人間、罪深い人間、愚かな人間であるわたしをコントロールしてくださり、お浄土に生まれさせ仏にまでしてくださる阿弥陀さまに出会うことができて本当に良かったですね。

ともに一つところで会う                   倶会一処

 お念仏申すものが生まれ行く先はお浄土です。阿弥陀さまのおはたらきによっておさとりの世界であるお浄土に生まれさせていただくのです。
お浄土は、煩悩が吹き消される世界、醜い心も、怒りも腹立ちも、貪りもなくなり、おさとりの身にさせていただく世界です。
 お浄土はまた倶会一処、ともに一つところに生まれ、出会える世界です。阿弥陀経には「すぐれた聖者たちと、ともに同じところに集うことができる」つまりすでに浄土に生まれ仏になられた方々とともに会える世界です。親鸞聖人は晩年にお弟子にあてて「わたしは今はもうすっかり年老いてしまい、 きっとあなたより先に往生するでしょうから、 浄土で必ずあなたをお待ちしております。」とお手紙を書いておられます。お浄土でまた会えるのです。
お浄土は親しかった人と再び会える世界ですが、あまり親しくなかった人とも会えるのです。憎みてやまなかった人とも会えるのです。そんな人とは会いたくないと言われるかもしれません。でもそのときは、怒りも腹立ちも、憎しみもすべて消え去って、仏として会えるのです。
時折、あの人と一緒にお墓に入りたくないと言われる方があります。そんな時、わたしは「今生ではどうしても会えば苦しい思いを抱く人があります。会いたくない人もあるでしょう。しかしお浄土では仏として会えるのですから、せめてお墓くらいは一緒に入りませんか。と言うようにしています。
 お浄土は懐かしい人として会えるのです。親しかった人とも、そうでなかった人ともともに尊い仏となって会えるのです。今度あったときは、あなたのおかげで仏法に出遇い、お念仏にであえたよ、お浄土に生まれる身にお育ていただいたよといえる出会いが待っているのです。
 やがて会えるだけではありません。今ここに亡き方が仏さまとしてはたらいてくださっているからそんな身に育てていただいたのです。お念仏するところ、仏さまのおはたらきを感じます。

支えてくださる大地がある、阿弥陀さまがおられ、お浄土がある

 悲しむ自分を
 苦しむ自分を
 そっくりそのまま
 支えていてくださる
 大地がある
        平野恵子

 人生には様々な悲しみや苦しみがあります。苦とは思いどおりにならないことです。お釈迦さまは人生は苦に満ち満ちていると教えてくださいました。思いど おりにならない最たるものが老、病、死です。これらは人として生まれた以上、避けることのできないものです。いかに医療がすすんでも、どんなに死を先延ば しにしようとしても、死は必ず訪れます。
 仏教の教えはこの老病死の苦悩の解決にあります。避けられない老病死をどう受け取っていくかです。お釈迦さまは老病死を苦と感じるる原因はわが心にある。苦悩の原因である煩悩を取り除いてさとりを開かれたのです。
 親鸞聖人は、私たちは凡夫であり、臨終にいたるまで煩悩はきえることはないと示してくださいました。しかしそんな苦悩のわたしを、どんなときも照らして くだり、南無阿弥陀仏と呼んでくださる阿弥陀さまがおられることを教えてくださいました。お念仏するところ、どんな苦しみも悲しみも、一緒に苦しみ悲しんでくだ さる阿弥陀さまがおられるのです。人生避けられない苦悩をともに背負い、苦しみ悲しみ呻くわたしをそっくりそのまま支えてくださるのです。やがて今生に縁 尽きるときは、決して落とさない。浄土に必ず生まれさせてくださるのです。そんないのちのふるさとお浄土がある、帰ってゆく世界があるからこそ、今この苦 悩の人生を生きてゆけるのです。

自分のことしか考えられない人を鬼という

 昔の人は孫の代が使う木を植えました。今の人は自分が使えるものは使って孫にはゴミだけ残して、こういう生き方であっていいのでしょうか。
 
 自分のことしか考えられない人を鬼という。

 こんな言葉に出逢いました。自分のことしか、今のことしか考えられない鬼のような生き方をしているのが現代人、そして私です。今問題の原子力発電所。原発を稼働して出てくる核のゴミ、 核廃棄物は処理できないのです。埋めることも捨てることも出来ない使用済み核燃料。そんな放射能の恐怖におびえる生き方を子孫に残したくはありません。
 たとえ鬼でも恐縮して、申し訳ないと鬼であることを自覚し、少しでも迷惑をかけたくない、他のことを考えて生きる道があるはずです。しかし鬼が鬼と知らず、正しいことをしていると威張り散らしているのはいかがなものでしょう。
 鬼であってもかならす救うとおっしゃるのが阿弥陀さまです。鬼だからこそ救わずにはおかぬといわれるのです。
 仏教の基本に縁起の教えがあります。お釈迦さまはすべてのいのちはつながっていると教えてくださいました。今の様々ないのちとつながっているのです。それは今の横のつながりだけではありません。過去現在未来、今の私の生き方は、子孫の生き方にもつながるのです。未来につながるいのちとして、未来に責任を持ったいのちであることを自覚したいものです。

明日死ぬいのち、永遠に生きるいのち

 一期一会という言葉があります。仏教を原点とし、お茶の世界で語られる言葉です。一期とはこの一生のこと、たった一度きりの人生、いつ終わるかわからないこの生涯のことを言います。蓮如上人は「明日には紅顔あって、夕べには白骨となれる身なり」とおっしゃいました。私たちは生まれた以上終わりのあるいのち、いつ死んでゆくかわからないいのちを生きているのです。この出逢いは今生たった一度の出遇いだから大切にしたい、これが一期一会という言葉です。
 インド独立の父、マハトマ・ガンデイーはこんなことを言っています。
「明日、死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。」
明日死ぬと思って、これは一期一会とも仏教の心とも通ずるものです。ガンデイーは今日行った結果がすぐ表れるのではない。生きているうちに結果が実を結ぶかどうかわからない。でも今、行ないをおこすことが大事だとガンデイーさんは言います。そしてさらに
「永遠に生きると思って学びなさい」
この行為の結果は必ず続いてゆく。だから責任を持って生きねばならない、ということでもあります。
 私たち真宗門徒は、お念仏申す身にさせていただいて、お浄土に生まれて永遠のいのちをいただきます。もちろん今の姿かたち、思いのままではありません。仏となるのですが、永遠に生きるいのちです。
 私のこのいのち、明日をも知れないいのちですが、今お念仏申すことによってこの身はお浄土に生まれ永遠に生きるいのちとさせていただくのです。

自分のものさしを問う

自分のモノサシで問うのではなく 
自分のモノサシを問う

 掲示板にこんな言葉を書きました。人はそれぞれ育ってゆく環境や教育、宗教等の影響によってそれぞれ価値観を形成します。その価値観の根底には自我の心、我執があるのです。つまりわが根底にある我執のこころを中心として、これまでに経験、学習した様々な価値観を加えて出来上がったのが私のモノサシなのです。そのものさしはそれぞれメモリが違います。その違ったモノサシでものをはかり、好き嫌いや善し悪し、美しい醜いの判断もします。悲しいことに、自分のものさしにかなうものは愛し、そうでないものは憎んでしまうのです。
 私たちは生きてゆくかぎり、そんな自分のものさしでものをはかってゆかねばなりません。でも、この自分のモノサシを唯一の正しいもの、絶対的なものとして振り回してゆくと、他人を傷つけてしまいます。そして、自分も傷つきます。
 仏さまの光に照らされ、法を聞くところに、その自分のものさしが問われます。このモノサシは正しいものだろうか、間違っていないだろうかと疑問がおこり、我執、煩悩が混じった危ういものだ、人それぞれに違うものだと気付かされます。自分のものさしが問われるのです。

花は眺める人の心に咲きます

 お寺の境内はさつきの花がさき、アジサイが色づいてきました。野の花や雑草と言われる花も含めてたくさんの花が咲いています。私が気付こうが気付くまいが咲 いています。けれど私が気付いたそのとき、「きれいな花が咲いている」と、はじめて私の心に花が咲くのです。どんなに花が咲いていても、私が気付かなけれ ば私の心には咲いてくれません。
こんな詩があります。

花は眺める人のこころに咲きます
眺めるあなたが咲かせます 
世界中花のこころにしてください

仏さまも同じようなのでしょう。阿弥陀さまは常に私たちを照らしてくださいます。常にとは、不断つまり絶え間なくということです。そしていつも、いつまでも変わりなく 永遠にという意味でもあります。いつもどんな時も照らし、私にはたらきかけ、呼びかけていてくださいます。しかし私が気付かなければ、その阿弥陀さまのお心は私の心に届きません。阿弥陀さまは、南無阿弥陀仏の名乗りの仏となって常に喚んでくださいます。この呼び声を聞くことを聞名といいます。そしてその名の 仏が私の口からこぼれるときお念仏となります。お念仏の花が私の口に開いたのは、阿弥陀さまのおこころが届いた証でもあります。
法然上人は

  月影のいたらぬ里はなけれどもながむるひとの心にぞすむ

と歌っておられます。阿弥陀さまのおこころに気付いて、私たちもたくさんのお念仏の花を咲かせましょう。

願われるいのち

あなたはどんなお名前ですか?
名付け親は誰ですか?
その名前にはどんな意味がありますか? 
私たちはそれぞれ名があります。その名はどんな事情でつけられたのでしょうか。

新聞に載った女性の投稿です。私のおなかに新しいいのちが宿ったとわかったその日、父が急逝骨髄生白血病であることがわかりました。それから父は2ヶ月間の入院で趣味の海つりも出来ず、ただぼんやりと過ごしているように思えたのです。そんな父に父の生きる気力の一つにでもなってくれればとおもい、おなかの中の子の名付け親になってくれるよう頼みました。三ヶ月後、忘れているのかと思いはじめたころ、ようやくメールがきたのです。「洋青」はどうかと。太平洋の洋に青、海の好きな父ならではと思ったのですが、メールの続きには「窓の外には洋服の青山しか見えないから」と。わたしは苦笑いしながらメールを見ました。父からはそれが最後のメールとなりました。おなかの子を見ること無く父は亡くなったのです。葬儀のあと、母が私に一冊のノートを渡してくれました。そのノートには海にちなんだ名前が100以上も書かれていました。母は「おとうさんは一日に一つ考えるのを楽しみにしていたのよ」と。洋服の青山は父らしい照れ隠しだとわかりました。
 父はこの子を知らないし、この子も父を知りません。それでも父はまだ見ぬ孫から病床で日々生きる希望をもらい続け、この子はそんな祖父からたっぷり愛されました。そしてその思いこれからも名前とともにずっとこの子にかけられるのでしょう。父は孫に大好きだった海を通して、その海のように広く大きく青く、幸せな人生を送ってほしいと願いを込めたのです。

 私たちの名も親の願い、名付け親の願いが込められています。名よよばれるとは、その願いを受け取ることでもあるのでしょう。私たちは法名をいただきます。釋○○。釋、そこにはお釈迦さまの弟子として教えを聞いて歩んでほしいという願いが込められています。そしてあなたはどんな時もひとりぼっちじゃない南無阿弥陀仏の仏さまと一緒、尊い人生を歩んでほしい、光り輝いてほしいという阿弥陀さまの願いがかけられているのです。

春が来た

 いま、お寺の境内では梅の花が咲いています。そしてウグイスも鳴きはじめました。
寒かった冬もようやく春へと向かっています。
 春が来た春が来たどこに来た
  山に来た里に来た野にも来た
春は眼には見えません。でもちゃんときています。それは梅の花をさかせ、うぐいすを鳴かせるところに来ているとわかります。雪ではなく雨になり、頬をなでる暖かい風に春を感じることもあります。草がそして紅葉の実生の芽生えに春の訪れを知ることができます。いのちが息づいてくるから春が来たとわかるのです。
 春とは多くのいのちを生き生きとさせるはたらきです。春のはたらきによっていのちが目を覚まし息づいてくるのです。春のはたらきは具体的には温かい陽の光、温かい風となって私たちに届きます。
 阿弥陀さまも同じです。仏とは覚者、真理に目覚めた方です。自らが真理に目覚めた方であるとともに、他を目覚めさせるはたらきをなす方です。
 煩悩に眼さえられ、無明の闇に生きる私たちを目覚めさせるはたらきをされるのが仏さまです。阿弥陀さまはすくいの光を放って私の迷いの闇を破ってくださいます。そして南阿弥陀仏の声の仏となって私に喚びかけてくださいます。救いの光と南無阿弥陀仏つまり光明と名号が私に届いてこのいのちを目覚めさせてくださるのです。
 私の口からお念仏がでるのは、仏さまのはたらきが届いたあかしです。仏さまのはたらきによって私のいのちが目覚めさせられ息づいてくるのです。

今、命あるは有り難し

人の生を受くるは難く
 やがて死すべきものの
 今、命あるは有り難し
 
 『法句経』というお経におさめられる、お釈迦さまの言葉の一節です。
海の底に目の見えない亀が住んでいます。その亀が百年に一度海の上に浮かんで顔を出します。広い広い海のまん中に穴のあいた流木が一本浮かんでいます。亀 が、浮き上がってくるとき、その流木の穴にちょうど顔を出すことがあるだろうか。とお釈迦さまはお弟子に問われます。お弟子はほとんどあり得ないでしょ う。とこたえます。お釈迦さまは、本当に難しいことだが全くないとは言えないだろう。人として生まれるのはそれと同じくらい難しいことなのだと説かれたの です。
 人として生を受け、今命あることはとてつもなく有り難いことなのです。驚くべきことなのです。
 親鸞聖人はお弟子の明法房のご往生の知らせを聞きこうおっしゃっています。「明法房の往生のこと、おどろき申すべきにはあらねども、かえすがえす、うれしくそうろう」と。
 ご往生のことは驚くことではないと受け止められます。普通、私たちはご縁の方がなくなられると、驚きを持って受け止めます。「え、あの人亡くなったの?ずっとお元気でおられると思ったのに」というように、生きることが当たり前、死ぬことは驚きであるかのような錯覚があります。しかし親鸞聖人はそうではありません。「驚きもうすにはあらず」死ぬことは驚きではない、生まれた以上は必然のことという受け止めがあるのです。そこには、生きていることが驚きなのであるということが受け取れます。人として生まれ、今命あるとこが不思議なこと、驚くべきことなのです。
 そして明法房がお浄土に往生されたことに、「かえすがえすうれしく候」とおっしゃいます。亡くなったことがうれしいのではありません。お浄土に生まれら れたことがうれしいことなのです。人として生まれることもあり難いことなのに、お浄土に生まれ仏になるとはとてつもなく有り難いことです。人として生 まれた、甲斐があったというものでしょう。死んで地獄に堕ちるのではありません。迷い続けるのでもありません。お浄土に生まれ往くのです。これほど尊いこ とはありません。
 人として生まれ、今この命があり、やがて浄土に生まれ仏になること、これほど尊いことは無いのです。 

親のふところ なもあみだぶつ

  鬼がくるか 蛇がくるか
  知らずにくらす 親のふところ
  才市や よい気で なむあみだぶつ
  乳をのみのみ
  親の顔見て なむあみだぶつ 

 石見の妙好人、浅原才市さんはこんなうたを詠んでいます。鬼が来るか、蛇が来るか、どんなことが起ころうと、親の懐におれば心配はない、そんなことは知ったことではない、ただ安心して親の名を呼んでいる。親とは阿弥陀さまのこと、乳とは阿弥陀さまのおこころ、お慈悲のことです。阿弥陀さまのおこころにつつまれ、お念仏申す生活は、災難や病などがやってきても心配ない。たとえいのち尽きようともすでに仏の懐の中なのです。
 人生にはいろんなことがあります。自分に都合の悪いことも。そして老いも病も死も訪れます。いくら遠ざけようとしてもそれは無理なのです。病は病のままに、死に行く時も死に行くままにすでに仏の懐の中です。そしてどんなに悪いことも病もいろんなことに気付く縁だったなど親の懐にいればその意味が転ぜられていきます。
 お念仏申すとはそんな災難をも恐れることのない安心な生活なのです。だから私たち浄土真宗のものは厄払いや厄除け、「鬼は外」の豆まきも必要ないのです。お念仏するところ阿弥陀さまがいつも一緒です。すでに親の懐の中です。

後ろ姿

 仏像の切り絵を作っておられる方にこんなお話をうかがいました。薬師寺の薬師如来の脇に日光菩薩、月光菩薩がおられます。後ろ姿がとても美しかったので、その後ろ姿の切り絵作品を展示したところ、大層な人気だったそうです。
 見えない部分まで見事な彫刻となっていることに新たな発見をされたこともあるのでしょうが、何より後ろ姿に仏さまのお心を感じとられたからではないかと思います。
 顔は「いい顔をする」という言葉があるように、時には本心を隠し、作り上げていることもあります。やがていつかは化けの皮がはがれてしまいます。表の姿は私たちはある程度作り上げていくことができるのですが、後ろ姿はそう簡単に飾ることはできないようです。後ろ姿は自分でも見ることができません。 後ろ姿はその人の人格、生き様そのものが表れてくるのでしょう。
 子は親の背を見て育つと言われます。背中を見せるとは、言い換えれば親がどこを向いているかを子どもが見ているということでしょう。私がどこを向いて生きているのか、どの方向に向いて人生を歩んでいるかということでしょう。
 お寺にお参りに来られるようになった方に、なぜお参りされるようになったか尋ねると、親や祖父母がお仏壇にお参りしていた姿を思い出してお寺に来られるようになったとうかがうことがあります。親が仏さまの方を向いてお念仏し、前向きに生きている姿が子や孫を導いているのです。
  僧りょとして私はご門徒のお宅にお参りに行ったとき、その時間の大半、後ろ姿を見られています。 私はどんな背中をしているのだろうかと恥ずかしくなりました。私はどんな後ろ姿をしているのか、どの方向に向いているのか、どんな生き様をしているのかあらためて考えさせられました。
 お念仏するとは、私の人生の方向と目的が定まると梯実円先生は教えてくださいました。お浄土へと方向がむき、人生の目的が仏になることと定まるのです。お念仏申す人生、仏となる人生を歩ませていただきたいものです。
 

いまに十劫をへたまへり

弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きわもなく
世の盲冥をてらすなり

お正信偈の拝読のあと、一番はじめによまれるご和讃です。多くの人になじみ深い和讃の一つです。これは浄土和讃に入れられていますが、讃弥陀偈和讃とよばれるもので、讃弥陀仏偈によってお作りになったものです。
 阿弥陀さまが仏になられてから、今のこの時まですでに十劫という時が経っています。仏さまのご法身から放たれる光はきわまりなく、世の中の迷いの私たちを照らしてくださっています。という意味です。
 十劫とはとてつもなく長い時間のことです。劫とは、40里四方、高さの極めて固い岩に、100年に一度、天女が柔らかい衣で払って、その岩が磨滅してなくなる時間を一劫といいます。十劫とはその十倍です。
 盲冥とは、無明煩悩によって眼さえぎられ、真実を見ることが出来ない暗闇にいるのと同じ迷いの存在である私のことです。他の誰でもありません、私のことです。
 阿弥陀さまは迷いの凡夫を救わんと五劫の間思案を重ねられ、ご本願をお建てになり、私を救う手だてをお考えになりました。そして兆載永劫の修行をされてそれを完成され成仏されたのです。そして今日まで十劫のあいだずっと照らしてくださっているのです。それなのにわたしは曠劫流転しつづけ、無明煩悩によって暗く、これまで気付かなかったのです。仏さまのお救いに背を向け、逃げ続けてきたのです。十劫とは私の迷いの深さを表しているものともいえるでしょう。阿弥陀さまのご苦労は盲冥であるこの私のためであったのです。南無阿弥陀仏
 

宮商和して自然なり

  清風宝樹をふくときは
  いつつの音声いだしつつ
  宮商和して自然なり
  清浄勲を礼すべし

 お浄土には「常作天楽」たえず素晴らしい音楽が奏でられています。清らかな風がふくと、宝樹が揺れて五つの音色が響きわたります。心地よいハーモニーとなるのです。
 東洋音楽では宮、商、角徴、羽、の五音階で音楽が奏でられます。西洋音階に直すとドレファソラに近いのだそうです。宮はド、商はレに相当します。それぞれ素晴らしい音ですが、一緒にひくと心地よくありません。「宮」と「商」は不協和音なのです。しかし、お浄土ではこの不協な音でさえも「和して自然なり」と、素晴らしいハーモニーとなって響くのです。
 私はどんな音色をもってこの世を生きているでしょうか。気の合う人、楽しい出会いもたくさんあります。でも、どうも合わない人もいますね。また、どんな好きな人でも、様々な因や縁に出会うと傷つけたり、恨んだりする悲しい人間関係を生きています。でも、お浄土のお心をいただくとき、「和して自然」やがてお浄土では心地よいハーモニーとなる関係にならせていただきます。
 お浄土は「怨親平等」の世界です。怨み憎むもの、親しいものもともに生まれ行き、懐かしき人とさせていただくのです。
 お浄土のはたらきは阿弥陀さまのはたらき、煩悩を消し去り、怨みも腹立ちも消し、ともに仏として生まれるのがお浄土なのです。

念仏のみぞまこと

 私たちの身の回りにはたくさんの言葉が説かれています。新聞には社説、電化製品には解説がつけられ、本屋さんに行くと小説があります。私たちのよりどころとするお経は仏説です。お釈迦さまの言葉です。
 身の回りにある多くの言葉は、人間の言葉です。言葉は私たちが生きてゆくにはなくてはならないものです。言葉によって勇気をもらったり、励まされたりすることもたくさんあります。生きる支えになる言葉もあります。しかし反対に言葉によって傷ついたり、悲しんだり、絶望の縁にまで落とされることもあります。私たちが使う言葉は多くの場合、煩悩に染まっているからです。
 お経は「仏説」です。煩悩に染まらない言葉です。それは私たちを惑わせたり、困らせたりする言葉ではありません。煩悩のこの身をさとりにいたらせるために語られた言葉です。 この仏説であるお経に、お念仏こそ私のよりどころ、真実の言葉であるととかれます。
 私達は日頃どんな言葉を使っているでしょう。時に人を困らせたり、涙を流させたり、自分もが傷つく言葉をつかうこともあります。どれだけ人を傷つけたかわりません。
 でも仏法に出遇わせてもらい、仏法を聞く今、そんな罪深いこの口からお念仏が出てくださいます。甲斐和理子先生は「み仏のみ名をとなふる我が声はわがこえながらとうとかりけり」と詠まれました。
 親鸞聖人は「よろずのことみなもてそらごとたはごとまことなることなきにただ念仏のみぞまことにておはします」と受け取っていかれたのです。

心配されている私

 ようこそ蓮光寺心の電話です。地震と大津波。多くの人が悲しみの中におられます。ご縁の方に被災された方もあろうと思います。お見舞い申し上げます。
 私も友人が仙台空港のある宮城県名取市にいます。テレビの大津波の影像を見てどうだろうか、大丈夫だろうかと心配しました。しかし電話もかかりにくいし、かけても迷惑になるだう、親戚でもないのでと、かけずに気をもんでいました。すると2日目、その友人から電話がかかってきました。「心配しているんじゃないかとおもって、大丈夫だから」と電話をくれました。東京にいて大丈夫とのこと、お寺は地震の被害にあわれておるものの家族は無事とのことでした。安堵しました。
 私は彼を心配しているつもりでした。ところが、彼も「気をもんでいるだろう、心配しているだろう」と私を心配してくれているのでした。
 その後、私とその友人との関係を知っている大学時代の友達や旅行仲間からもその友人を心配する電話が何本もかかってきました。
 毎日会っている人でなくても、多くの人が皆心配しているのです。
 と、言うことは、わたしもまた多くの方の心配の中にいるのでしょう。毎日出会っている人はもちろん、普段出会ってないひとも、私を気にかけてくれているのです。
 仏さまも同じなのかもしれません。お正信偈に、大悲無倦常照我、とあります。阿弥陀さまはいつもどんな時も私を心配してくださっているのです。

お浄土からのはたらき

 お彼岸には太陽は真西に沈みます。西は月や星も沈む方角です。お経にはお浄土は西にあると示されます。 欲や煩悩に向いて迷いを重ねている私、人生がどこに向いているかわからず不安にすごしている私に、西の方角をもっていのちの帰依処、さとりにいたる方向を指し示してくださいるのです。お彼岸のこの時期は、ご縁の方がお生まれになったお浄土を思い、お浄土のはたらきに気づかせていただきましょう。

 「急で申し訳ないのですが、お参りしていただけませんか。」と、ご門徒からお電話をいただきました。「どうされましたか」と尋ねると、「自宅に母がおります。お医者様からあと一月もつかどうかといわれたのです。母と一緒に仏さまにお参りしたくて」というご返事でした。「是非お参りさせていただきましょう。」翌日お宅にうかがいました。
 お母様は隣の部屋でベッドに横になり、手をあわせておられました。お勤めを終え、お母様に 「いかがですか」とお声をかけました。遠くから引っ越しして来られたばかりでしたので、私は初対面でした。けれども私の衣姿を見るなり、 「お寺さま」と懐かしそうなお顔をされ、手を合わせ、ナンマンダブツとお念仏申されました。おそらく、こちらに来られる前にご縁のあったお寺の方を思ってそうおっしゃったのでしょう。
 「一つうかがってもいいですか?」か細い少し不安な様子でおっしゃいました。「はい、いいですよ」と答えると「私はちゃんとお浄土へ参らせていただけるのでしょうか」というお尋ねでした。私は「はい。大丈夫ですよ。お母さまのお口からすでにお念仏申されていますよね。お念仏申されているということは、もう阿弥陀さまの願いが届いているからですよ。今、阿弥陀さまと一緒なんですから、このいのち終わる時も阿弥陀さまと一緒、大丈夫ですよ。どんないのちもお浄土に生まれさせたいという阿弥陀さまの願いの中に今あるのですから、必ずお浄土です。」とお答えしました。すると安心した笑顔になられ、目に涙を浮かべながら「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」とお念仏申されました。笑顔でお念仏申される姿は本当に尊く、輝くお姿でした。
 二十日ばかりして「母が亡くなりました」というお電話をいただきました。臨終のお勤めに寄せていただきました。「あれから母は、ずっとお念仏申していました。お医者さまにも、ありがとう。そして私どもにもありがとう、ありがとうと言っていました。」と聞かせていただきました。
 通夜、葬儀をおつとめし、七日毎のお参りには、ご家族そろって皆でお正信偈をいただきました。小学生のひ孫さんが「お坊さん!ひいおばあちゃんが言っていたナンマンダブツって、あれ何?」と尋ねてきました。ひいおばちゃんのお念仏のお姿を何度も目にしていたからこその質問でした。「ナンマンダブツはね、声になって届く阿弥陀さまだよ。ひいおばあちゃんは、いつも阿弥陀さまと一緒だったんだよ」と答えました。「ふうーん」「今、お正信偈を読んで一緒にお念仏したよね。お浄土からただちに還ってきてはたらいてくださっているんだね。君も阿弥陀さまと一緒だよ」とお話ししました。ひ孫さんのお念仏する姿に、お浄土からのお育てを思いました。
  願土にいたればすみやかに
  無上涅槃を証してぞ
  すなはち大悲をおこすなり
  これを回向となづけたり
     親鸞聖人『高僧和讃』

 お浄土は願土とも表現されます。すべてのいのちを仏にさせたいという願いに満ちた国土だからです。浄土に生まれたものはすみやかにさとりを開き、大悲心をもってあらゆる人を導く身にさせていただくのです。これも阿弥陀さまの願いだからです。

お浄土への人生

「とってもきれいなお日さまですよ」川土手の道路を運転していると、同乗の方が教えてくれました。「本当ですね」車を止め、しばらく美しい夕陽を眺めました。ため息をつかんばかりに夕陽に見とれていました。私達の顔は陽の光に照らされて赤く染まっています。太陽は遥か彼方にあるのですが、その光はわたしたちを照らし、つつんでいました。
 教えてくれた方があったので、私は美しい夕陽を見ることができました。そしてその光が私を包んでいることに気付かされました。
 お彼岸には太陽は真西に沈みます。西は月や星も沈む方角です。お経にはお浄土は西にあると示されます。西の方角をもって帰りつく処、いのちの帰依処を指し示してくださいるのです。阿弥陀経には「これより西方に十万億の仏土を過ぎて」と、遥か遠くにあると説かれます。「これ」とは私の煩悩の世界です。煩悩を超えたところがお浄土と示されます。煩悩からするとお浄土は遥かにあるのです。しかし同時にお浄土のはたらきはこの煩悩の身をも包んでくださっているのです。煩悩の身では私たちはどの方向に歩んでいいのかわかりません。煩悩に振り回され、迷いの世界にとどまるばかりです。欲や煩悩の方に向いている私たちに、さとりの方角を示してお浄土への歩みをおすすめくださっているのです。
 先日、「お寺に行きたいのだけれど道にまよってしまって」と携帯電話からお電話いただきました。「今どこにおられますか」と尋ねると、「それがどこにいるかわからないのです。」という返事。こちらも答えようがなく、「何か目印になるような建物などありませんか」と聞くと「丸い建物があります」「それではよくわかりませんね」「お店か何かは?」「少し戻ってみます」などと長いやり取りがありました。しばらくして「今、消防署の所に出ました」という電話があり、ようやく今どこにおられるかがわかり、道順をお伝えしました。カーナビをたよりにお寺においでになろうとしていたそうなのですが、どうも目的地の設定がうまくいっていなかったようです。
 道に迷うにはいろいろな原因があります。行きたい所がはっきりしていても行き方を間違えると迷ってしまいます。「今自分がどこにいるかわからない」と、現在地を見失うと迷いは深まります。
 さらに深い迷いは、行き先も現在地もわからないときです。どこに行っていいのかわからずにさまよっているときでしょう。もっと深刻な迷いがあります。それは、自分が迷っていることさえ気づかずに、迷いに迷いを重ねてしまうときです。

道に迷った時は
たちどまって
道を知っている人に
尋ねるのが一番
そのうちにと思っていると
日が暮れてしまう
          鈴木章子
 迷いのままの自分では、迷いから抜け出すことはできません。そんなときはまず立ち止まることです。今、自分がどこにいて、どこに行こうとしているのか、そしてどういう方法で行くのかを確かめることです。
 それを教えてくれるのは道を知っている人です。道を知らない人に尋ねるとかえって迷いは深まります。道を知っている人とは、お釈迦さまであり、親鸞聖人であり、お浄土お生まれになったご縁の方々でしょう。
 煩悩に惑わされ、自分が迷っていることさえ気づかずに、迷いに迷いを重ねている私たちに、さとりの方角を示し、お浄土へ生まれ行く人生、お念仏申す人生を教えてくださいます。
 お彼岸のこの時期は、お浄土を思い、お浄土のはたらきに気づかせていただくにもっともふさわしい季節です。

名をよぶ

 梅の花もさきそろいました。大地には小さいけれど、早春の草花が咲き始めています。オオイヌノフグリ、タネツケバナ、ナズナ、ホトケノザ。それぞれに個性があります。他の花とは比べ物にならない輝きがあります。雑草とひとくくりに呼んではあまりにかわいそうです。皆、名があります。名前で呼んではじめて私たちがその輝きをみとめることになるのではないかと思います。名を知らなければ名をよぶことはできません。花の色や形、葉の形など他の花との違いがわかってはじめて名をよぶことができます。名で呼ばれてはじめて認めてもらったと感じるのではないでしょうか。
 教育実習を受けたとき、指導の先生から「注意する時は、生徒の名を呼んで注意しなさい。誰を注意しているかわからないような怒り方はしないように」と教えられました。教壇に立ってみて納得しました。大勢に対してのことばはなかなか通じません。その人の名を呼び、その人に語りかける時、心に届きます。名で呼ばれてはじめて認めてもらったと感じるのではないでしょうか。名を呼ぶには、名を知らなければなりません。他の人との違い、個性を知り、その人を受け入れはじめて名で呼ぶことができるのです。だから通じるのでしょう。
 あるお寺の掲示板にこんな言葉がかかれてありました。

 もっとも優しい言葉は 
 その人の 
 名を呼ぶことである

 お釈迦さまは、舎利弗よ、舎利弗よと語りかけて阿弥陀さまの教えを説かれたのが阿弥陀経です。お釈迦さまの心が舎利弗の心の届き、さらに私たちに届くのです。

私たちは南無阿弥陀仏と仏さまの名を呼びます。阿弥陀さまのお名前を呼ぶとき、阿弥陀さまのお心が私たちに届くのです。それは阿弥陀さまが私たちを呼ぶ声に他ならないからです。甲斐和理子先生は
 御仏をよぶ わがこゑは 御仏の われをよびます 御声なりけり

どんな心持ちで新年を迎えられましたか?

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
 新しい年を迎えました。今年はどんな心持ちで新年を迎えられましたか?一年の計は元旦にあり。今年一年の目標を、どんな一年にしたいかそれぞれお考えだと思います。
新年は皆が幸せについて考える大切な時だと思います。
 年始には多くの人が願いをかけに神社仏閣にお参りします。今年一年無病息災でありますように、商売繁盛でありますように、いい人と巡り会いますように、合格できますように、そこには素朴な、偽らない情があります。それは皆幸せを求めてのことでしょう。
 大手銀行の調査で幸せの条件を挙げてもらったら、一位家族、二位財産、3位健康となったそうです。そうですね。どれも一番大事なものでしょう。私たちはこの三つのものから離れることはできないようです。しかし蓮如上人は御文章にこうおっしゃっています。
「まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身にはひとつもあいそうことあるべからず。」
厳しい言葉でありますが、死ぬ時はどんな幸せの条件も頼みになりません。いくら財産を積んでも遺言を書いても、それは私の行き先を確かにするものではありません。

 昨年、私の恩師、浅井成海先生が亡くなられました。入院中に娘さんからこんな質問を受けられたそうです。「おとうさん、人生で一番幸せだったことは何?」と。もしあなたが聞かれたら何と答えますか? その質問に先生はすぐに、「阿弥陀さまのお救いに出遇えたこと」と答えられたそうです。
 この私を必ずお浄土に生まれるいのちにさせると願われている阿弥陀さま。このいのちはお浄土に生まれるいのちであることに気づいてくれよと照らしてくださる阿弥陀さまです。
 年の初め、私たちが願っている幸せについて考えてみましょう。今年は私の死ぬ年かもしれません。今生にいのちいただいて幸せだったといえる人生にしたいとおもいます。

喰うか、食べるか、いただくか

 掲示板にこんな言葉を書きました。「道ゆく人よ、あなたは、喰うか食べるかいただくか」さあ、あなたは「喰う」「食べる」「いただく」さてどれに当てはまりますか?食卓にのぼった食事をどう考えておられますか?
 「喰う(くう)」の語源は「くわう」「くわえる」ということです。獣が獲物を口にくわえ、くらいついているということです。その姿を想像してみてください。最近グルメ番組などで「くったくった」と言っていることがあります。獣になっているんでしょう。
 「食べる」の語源は「たまわる(賜る)」だそうです。そして古語の「たぶ(給ふ)」、給食の給の字を書きます。届けられた、賜ったということです。食べ物がこの食卓にのるまでどれほどの方々のおはたらきがあったでしょう。そこには人として、食べ物に感謝し、それを届け、作ってくださった人々への感謝の心が込められています。
 「いただく」とはいのちをいただくということでしょう。「食べる」ということには「殺す」ということも含まれるのです。同じいのちなのに殺して、このいのちをいただいている。ごめんなさい、申し訳ない、そこにはそんな心があるのです。そんなことに気付いて、合掌し、いのちをいただくのです。「いただく」そこにはいのちと人々への感謝に加えて、罪と慚愧(ざんぎ)の心があります。
 わたしたちはいのちをいただいてしか生きてゆくことはできません。食事は私たちのいのちを支える大事な日常ですが、そこにあたりまえと過ごしてゆくのではなく、そこに感謝と慚愧の気持ちを見いだすことが人間として忘れてはならないことです。

真宗門徒の精進

 我が家では、毎月16日はお精進にします。肉魚を食べないことを通していのちのあり方を考えるのです。古来、真宗門徒は宗祖親鸞聖人のご命日を精進にして過ごしてきました。真宗の篤い地域では魚屋さんが休みの日にしたり、漁師さんも休漁にしてきた地域が今でもあります。そして肉親がなくなったときは、通夜や葬儀のお斎は必ずお精進にしてきました。
 さとりに至る仏教の八つの実践(八正道)に「正精進」があります。さとりに向かって正しい精進努力をすることです。私たちの命を育むのが毎日の食ですが、この命がさとりに向かう為の食となる時、これを精進料理というのでしょう。仏教の戒律と相まって、肉魚を食べない料理を精進というようになりました。
 いのちを奪ってしか生きることができない私たちです。だからこそ、先人は肉親の亡くなった折や命日、また宗祖の命日には、このお精進を通していのちのあり方を考えてきたのでしょう。
 私たちは、食卓にのぼったものを「食べ物」と呼んでしまいます。でも本来、それはすべて「生き物、いのち」です。それなのに深い考えを持たずにどれほどの命を口に放り込んできたでしょうか。数限りない命を奪い、その命に支えられてきたことに全く気づかずに過ごしているのです。
 私たちが「お精進にする」というのは、口の殺生を慎み、控えることを意味します。殺生せずには生きていけない私たちだからこそ、お精進という、すこしでも殺生を慎み、控える事を通さなければ、そのことにはなかなか気づきません。「お精進」はそういうことに気づかせていただく大事なご縁です。いのちをいただいて生きていると気づかせていただくご縁です。
 身近な方を亡くしたとき、命の尊さを考えます。自らのいのちのあり方も考えます。通夜や葬儀のお斎にお精進にしてきたのは、食を通してをも、我がいのちあり方を考える縁を、亡くなった方から頂いたということでもありましょう。
 飽食そしてグルメの時代、特にいのちが見えなくなってきました。いのちを食材として考え、賞味期限を設け、うまいかまずいか、値段で価値をはかるようになっています。こんな時代だからこそ、月に一度、いやせめて葬儀の折くらいは精進を通していのちを考えてみたいものです。わたしたちはいのちをいただいてしか生きれないのですから。

 宗祖親鸞聖人は肉食をされました。親鸞聖人は無戒の者、破戒の者つまり、大地に生きるすべての人々が歩むことのできる道を求められたのです。殺生戒という命は殺してはならないという戒律のある中で、ご自身を含めた、命を殺してしか生きようのない多くの人々がさとりにいたる道を念仏成仏の道として見いだされたのです。

祈りによらない

いのるによりてやまひもやみ、いのちものぶる事あらば、
            たれかは一人としてやみしぬる人あらん。  (法然上人)

 祈って病が治り、寿命が延びるものならば、一人として病み死ぬ者はいないはずだ。

 仏教は祈りによって病を治すとは説かない。仏にそんなはたらきはない。真宗門徒は病気治癒や延命の為に祈ることはなく、医薬に重きを置いた。
 一昔前まで、北の地に雪が降る頃になると、大きな行李を抱えた富山の薬売りの方が来られていた。置き薬の販売だ。
 富山で薬が作られ、配置薬を売りに来られるようになったのは理由がある。一つは浄土真宗の教え、二つ目は雪深い冬である。
 真宗門徒は宗教による病気回復を祈らなかったから、早くから薬草や薬による治療が盛んだった。因果の道理をわきまえ、病気の原因を宗教的なところに求めなかったからだ。また江戸時代には、真宗門徒の多い地域はいのちを大事にすることから、間引きが極めて少なかった。そのため人口が過剰になり、内職や出稼ぎをしなければならなかった。
 雪の多い冬には農作業は困難だったからその間に伝統的な薬、新たな薬を作り、行商に出たのだ。
 「ご本山にはお参りになったかね?」薬の補充をしながら、西本願寺の報恩講のお話などもしてくださっていた。

年の瀬に思う

 年の瀬となりました。今年1年を振り返る季節でもあり、新たな年を迎える準備の季節です。おだやかにそんなことができるのは、ひとつは新年が必ずくることがわかっているからです。もし12月31日の次の日が本当に来るかどうかわからなかったら、そんな平穏にはできないでしょう。
 私たちの人生も実はそうなのではないでしょうか。明日が来る、来年が来る思っているうちは何となく平穏にすごせるような気がます。しかし死を目前にした時、どんな生き方ができるのでしょう。
 鹿児島に藤原千鶴子さんという方がおられました。お寺の生まれで学校の先生になり、これからという時でした。26歳で末期の癌、余命半年と告げられたのです。しかしお寺でのお念仏の教え、お浄土のことを聞いておられました。あるとき、なみだのご両親に、「お父さんお母さん泣かないでね。私は死ぬいのちを生きているのではありません。お浄土に生まれ仏になるいのちを今、生きているのです。」とおっしゃったそうです。また会えるお浄土に生まれる。お浄土に生まれ、仏になって、また還ってくるから、というのです。
 「今生のあとに確かにお浄土がある。この人生はそのまま仏にさせていただく。」そう行き先が確かにわかったとき、たとえ死を前にしても一時いっときを尊く、豊かに生きることができるのでしょう。
 「お浄土がある」そう、うなずけたとき、そこに、今の私が輝いて生きることができるのです。あなたはお浄土がちゃんとありますか?

常に私を照らしてくださる阿弥陀さま

 一日は誰も等しく24時間です。その24時間をあなたはどう過ごしておられますか。睡眠、仕事、テレビ、スポーツ。それぞれいろんなことに何時間、何十分と時間をかけています。それでは、一日のうち、仏さまのことを考える時間はどのくらいですか?何時間もかけて仏さまのことを思っておられる方は少ないのではないでしょうか。私こそ、お寺に住まわせてもらい、僧りょという立場でありながら、仏さまのことを思うのはほんのわずかの時間です。お経を読みながらでも、他のことを考えてしまう自分がいます。私が仏さまのことを考えるのはほんの少しです。
 では反対に、仏さまが私を思ってくださる時間はどれくらいでしょう?、そうです。ずっーとです。一日中、一年中、十劫の昔から常に照らしてくださっているのです。常照我、「常に我を照らしたまふ」寝ている時も、仕事をしている時も、腹を立てている時も、泣いている時も愚痴をこぼしている時も常に私を照らしてくださっているのです。
「私は仏を忘れるが、仏は私を忘れない」たとえ私が忘れようとも、仏さまは決して私を忘れない。だから安心なのですね。
 常とは、親鸞聖人は「つねにといふは、ときをきらはず、日をへだてず、ところをわかず」(尊号真像銘文659)「常といふは、つねなること、ひまなかれといふこころなり。ときとしてたえず、ところとしてへだてずきらはぬを常といふなり。」(一念多念証文677)と示してくださいました。常とは時間的には絶え間なく、不断に、そして空間的には、どんな所にも行きわたらない所もなくということです。
 無倦とは「ものうきことなく」と読みます。倦という字はあまり見慣れないので、少し字の意味を考えてみましょう。倦怠期という言葉がありますね。倦には「うむ、あきる」という意味があります。「疲れていやになる。長く続いてうんざりする。いやになる。退屈する。くたびれる。」ことです。また、「攻め倦む」という言葉があります。「あぐむ、あぐねる」とも読みます「同じ状態が長くつづいて物事をしとげられなくて、いやになる。もてあます。あぐねる。」
 つまり無倦とは、あきることなく、いやになることもなくということです。
こんな私を、いやになることもなく、うんざりすることなく常に照らしてくださっているのです。

道に迷った時は

 先日、あるかたから「蓮光寺に行きたいのだけれど道にまよってしまって」とお電話いただきました。「今どこにおられますか」と尋ねると、「それがどこにおるかわからんのだよ」という返事、こちらも答えようがなく、「何か目印は」などと長いやり取りがあって、ようやく今どこにおられるかがわかり、道順をお伝えしました。
 行き方を見失うと道に迷います。でもそれはまだ浅いものです。深い迷いは「今自分がどこにいるかわからない」と、自分の現在地を見失うことです。さらに深い迷いは、行き先もわからないときです。どこに行っていいのかがわからすにさまよっているときでしょう。もっと深刻な迷いがあります、それは、自分が迷っていることさえ気づかずに、迷いに迷いを重ねてしまうときです。

鈴木章子さんはこんな詩を書いておいでです。

道に迷った時は
たちどまって
道を知っている人に
尋ねるのが一番
そのうちにと思っていると
日が暮れてしまう
        

 迷いのままの自分では、迷いから抜け出すことはできません。そんなときはまず立ち止まることです。今、自分がどこにいて、どこに行こうとしているのか、そしてどういう方法で行くのかを確かめることです。
 それを教えてくれるのは道を知っている人です。道を知らない人に尋ねるとかえって迷いは深まります。
 私の人生はどこに行こうとしているのでしょう。
 阿弥陀さまは迷っていることさえ気づかず、深い迷いの中にいる私に、まず、迷いの中にいることを知らせてくださいます。つまり現在地を教えてくださいます。そして迷いから抜け出るには浄土に生まれさとりに至ることだと、私の目指すところと教えてくださいます。さらに、そのお浄土へはどうやっていったらいいのか、お念仏申す人生がそのままお浄土に至る道だと導いてくださるのです。

念仏の口

 暑い夏でした。暑い暑いと何度言ったことでしょう。人と会うたびに「暑いですね」と。
「暑い」という言葉と「ナンマンダブツ」のお念仏、どっちが多かったですか?私は「暑い」の方でした。
 この口は放っておけば暑いという言葉、そしてグチや不平不満はいくらでも出てきます。それどころか、人の悪口や、怒鳴り声、怖い言葉まで出てきます。
 しかし縁あってお念仏の み教えに遇い、お育てをいただき、重ねてそのおこころに出会わせていただようになると、お念仏申させていただくようになります。そしてお念仏するとき阿弥陀さまのはたらきの中にあることを喜ばせていただきます。
 京都女子大学を作られた甲斐和理子先生は

 「みほとけのみ名をとなふる我が声は我が声ながら尊とかりけり」

と詠まれました。ナンマンダブツと阿弥陀さまの名を称えるのは私の声です。愚痴がこぼれるようなこの口から、この罪深いこの口から、仏さまが出てくださる。尊いことだと詠まれました。
 岡山に生まれ、若くして白血病にかかり、病室で育児をしながら多くの詩を作った住宅顕信という方があります。25歳で生涯を終えますが、お念仏に育まれて多くの詩を残しました。そのなかにこんな詩があります。

 「念仏の口が愚痴いうていた」

お念仏の出るこの口が、愚痴をこぼしているとは、なんということか、という句です。我が口をお念仏の口とおっしゃるのです。自分の口ではない如来さまのはたらきをたたえる念仏の口が、愚痴をいう、と。口をついて出る念仏を通して、常に如来大悲のあたたかさにであってゆかれました。

そばにいる人の声が聞こえますか?

 テレビでワールドカップサッカーの試合を見ました。南アフリカで行われる試合が生中継。歓声や監督のインタビューもリアルタイムでそのまま聞こえてきます。地球の裏側のことも瞬時に私たちの耳に届いてきます。
 「でも、あなたのそばにいる人の声は聞こえていますか?」
 そう聞かれたら、素直に頷けない私がいます。そばにいる人の気持ちはインターネットではわかりません。家族や身近かな人のこころはわからないことの方が多いのかもしれません。
 聞くことは難しいことです。自分が話しているときには人の声は聞こえませんし、自分のことで頭がいっぱいの時は人の声は聞こえません。
 聞くという字に「聴」と「聞」とがあります。「聴」とは耳できく、きこうとするすることです。こちらから進んできこうとすることです。聴こうとしないとなかなか人の痛みの声は聞こえてきません。「聞」とは聞こえてくるということです。心で聞く、心に届いたということです。
 仏法は聴聞にきわまるといわれます。阿弥陀さまの心を聞くことです。阿弥陀さまの願いがどうして建てられ、どうはたらいてくださっているかを聞くのです。それは救われ難い私という人間のあり方を聞いてゆくことにほかなりません。阿弥陀さまの心が私の心に届いた時、私の心がかわり、行ないも変わってくるのでしょう。

雨の日には雨の日の生き方がある

ようこそ蓮光寺心の電話です。梅雨を迎えました。雨の多い季節です。
 お釈迦さまのおられたインドでもこの時期はとても暑く雨の多い雨期です。外出もまま成らなくなりなります。また草木も繁り、虫や小動物がたくさん活動します。外で修行すると、地をはう虫を殺してしまうことになりかねません。そんな無用な殺生をしない為に、一定の期間外に出歩かず、室内にこもって修行、集団生活をしました。これを雨安居といいます。夏にするので夏安居ともいいます。日本でもこの習慣に習って多くの寺院や宗派で勉強の会が開かれます。本願寺でも毎年7月中旬から半月の間、龍谷大学の本館講堂を借りて全国から学僧があつまり勉学の集いがもたれます。
 無理に今までどおりのことをせず、雨の時期にあった生活をむしろ進んでされたのです。
 運動会を控えた学校で、明日は雨の予報、子どもたちは準備も手につきません。体育の先生がみんなにこういいました。「明日雨が降っても天に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の生き方がある」 と。
 人生にも雨の日があります。嵐の日もあるでしょう。晴れの日と同じ生き方はできませんが、違ったあり方の中で違う味わいをもって過ごすことはできます。

ご命日はお精進

 親鸞聖人がお念仏の教えをお伝えくださったおかげで、罪悪深重のこの私が浄土に往生できる道が開かれました。
 私のいのちは多くの縁がそろって今生にいのちめぐまれました。そして毎日たくさんのいのちをいただいて今生かされています。
 先日、精進料理教室を開きました。
 精進とは仏道修行の一つに数えられます。お釈迦様のお示しになった八つの正しい道、八正道の一つに正精進があります。正しく努力してゆくこと、さとりという正しい目的、方向に向かって精進することです。ですから精進料理とは仏道修行が精進する、進んでゆくための料理、さとりに至るための食事をいいます。
 食の豊かな中国で、特に禅宗で肉、魚などをとらないと厳しく制限されて日本に伝わりました。
 浄土真宗の私たちは肉食をします。しかしだからこそいのちを奪ってしか生きることのできないことを考える必要があるのではないでしょうか。
 真宗門徒は、親鸞聖人のご命日、毎月十六日をお精進にしてきました。また親族の通夜、葬儀そして四十九日の間も謹みをもって精進にしてきました。
 いのちを奪って生きることをあたりまえとして生きるのではなく、それを悲しいこととして生きる。お浄土への歩みをする私たちのいきる方向です。
 宗祖のご命日、せめて一月に一度、罪悪深重の私、このいのちを見つめる食卓をしつらえてみてはいかがでしょう。南無阿弥陀仏

人として生まれること                    はなまつりに寄せて

 4月8日は、はなまつり。お釈迦様のお生まれをよろこびに感謝する日です。お釈迦様がこの世にお出ましになったおかげで私たちが迷い続けることなく、さとりの世界へ生まれゆくことができるのです。お釈迦様誕生ありがとうございます。
 私たちは、このお釈迦様がお出ましになったこの境涯に、人間として生まれました。それは当たり前のことではありません。人間としてこの世に生まれたことがとてつもなく不思議なことです。
 柴田隆幸さんは
  人として 生まれ出づるは 不思議なり
と詠いました。
 人間の境涯は仏法に出会うことができる境涯です。仏さまの教えを聞くことができるのです。
 私が龍谷大学に入学した時、先生が「宝の山に入りて、手を虚しうして帰る事なかれ....仏法の聞ける宝に山に入ることができたのだから、決してなにも得ることなく卒業したらいかん。大事な人生の宝をみつけなさい」と言われました。わたしは大学ではたいした宝物は得られなかったのかも知れませんが、いま今生、この命ある今が仏法の山であることは確かだと思います。
 仏さまの教えを聞くことのできる境涯に生まれさせていただいたのです。そのよろこびの中にお念仏申します。  
 私たちは多くのご縁がそろって、いま仏法に出会うことができました。お釈迦様がおられたからこそ、阿弥陀さまの教えが説かれ、いまこの私がお念仏もうさせていただくことができるのです。

未生怨の私

 中国ブロック親鸞聖人750回大遠忌記念の創作劇を観ました。広島ALSOKホールは満員の観客でした。親鸞聖人の心の中を表現した演劇に、涙、涙の感動でした。私自身の心の奥をえぐられるような深い感動でした。3日間だけの公演では惜しい、再演され、もっと多くのご門徒、多くの方に観ていただきたいものです。
 私のような悪人が救われるのか。親鸞聖人の問いは、そのまま王舎城のアジャセが救われるかどうかでという問題がテーマです。『観無量寿経』、そして『涅槃経』に載せられた2500年前のインドの王舎城の悲劇の物語は、昔物語ではなく、今の私の生き様、そして私の救いを問うものです。
 マガダ国の王子に生まれたアジャセ。王子としてまっすぐに育ち、何事もなくすごしていたのですが、ダイバダッタに出生の秘密を知らされ、父母愛情に疑い持ち、そそのかされついに父ビンバシャラ王を死に至らしめてしまいます。演劇ではアジャセの心の深い悩み、葛藤、後悔が演ぜられていました。縁がそろえば何をするか分からない。父殺しの逆害まで起こしかねない。アジャセの姿と心の悩みは、そのまま親鸞聖人の悩みであり、私自身の問題でもあるとおもいました。アジャセには未生怨という別名がありました。未だ怨みを生じていない。それはほかの誰でもない、私のことでしょう。
 どんなに善人の殻をかぶっていても、縁に触れれば怒りの炎をもやし、怨みの心を起こし、何をするか分からない、「さるべき業縁のもよおさばいかなる振る舞いもすべし」そういう私なのです。そんな私だからこそ、阿弥陀さまは「お念仏申させお浄土に生ませさせよう、お前を救うまで涅槃に入らない、さとりを開かない」と誓われたのです。お念仏を届けずにはおかぬとおはたらきくださるのです。

共命鳥(ぐみょうちょう)

 いま、お寺の境内では「法を聞けよ」とウグイスが鳴いています。仏さま教えを聞いてくれよと聞法のご催促いただきます。
 先日あるご門徒の方から、「お内陣にはいろんな鳥の彫刻や絵がありますが、なぜ描かれているのですか?」と質問を受けました。
 阿弥陀さま前に置かれた前卓には、六種類の鳥の彫刻があります。この六鳥は極楽浄土に飛ぶ鳥の代表です。『阿弥陀経』にはこうかかれています。
 「その国にはつねに種々の美しい色とりどりの鳥がいます。白鵠(びゃっこう)・孔雀(くじゃく)・鸚鵡(おうむ)・舎利(しゃり)・迦陵頻伽(かりょうびんが)・共命(ぐみょう)の鳥などです。鳥たちは、昼夜いつも優雅な声でさえずっています。人々は、この声を聞くと、だれもが仏を思い、教えを思い、教えを聞く人々の集まりを思います。これらの鳥はみな、阿弥陀さまが法を説きひろめようと、形を変えてあらわれたものです。」 と。

共命鳥(ぐみょうちょう)
共命鳥(ぐみょうちょう)

 この中、共命鳥は頭が二つ、体がひとつの鳥です。顔はそれぞれ違っても、皆つながっているんだということを教えてくれます。争い、憎しみあっても皆つながりのあるいのち、争うことは自分をもきづつけてしまうよと教えてくれます。そしてどんなに淋しいときもみんないのちはつながっているよ、ひとりぼっちじゃないよと教えてくれます。
 この他、蓮光寺の内陣の壁には鶴、鴨、オシドリなどが描かれています。そんな鳥もすべて仏さまのお心を私たちに伝えようとしてくださっています。今度お寺に来られたとき、そんな鳥を見つけて、仏さまの心を受けとってください。

老病死は往生浄土への縁

 宗報(2010.1月号)に掲載されていた文章を読みました。医師であり、仏教を医療の現場にと訴え続けられている田畑先生。 

                           佐藤第二病院院長 田畑正久 
 日本がこれから迎える高齢化社会は人類が初めて経験する社会現象です。そこでは老病死をどう受け止めて生ききってゆくかが大きな課題です。現代のものの豊かさを実現した科学的思考の延長線上では老病死の現実を受容することは難しく、無宗教を誇る多くの現代人は老病死を先送りして、見ないように、避けて逃げ回るのですが、潜在的な不安を抱えながら最終的には老病死に直面し愚痴や世俗的な諦めの生活とならざるを得ないようです。
 福祉、介護、医療の制度がいかに充実していっても、そこに生老病死の四苦を超える智慧の心がなければ、「画竜点睛を欠く」のことわざのごとく、一人ひとりの人生に心の豊かさや、深い味わいを持ち得ない、人間味のない三悪道(地獄、餓鬼、畜生)の世界が展開するのではないかと危惧しています。老病死の現実を仏教の智慧で受け止める時、「人間として生まれてよかった、生きてきてよかった」と生きることの輝き、そして生きたことの知足へと導いてくれるのです。

田畑先生はこう指摘されます。
 老いは心の成熟の歩み、目覚めの人格主体になる道。
 病いは元気で生きていること、「有ること難し」に目覚めるご縁。
 死を見つめることは、今ここで生きている、生かされていることの輝きに気づく縁。
そして仏の心をいただく聞法の中に、老病死はさとりにいたる往生浄土の縁と受けとってゆく、ここに生死出づべき道が開かれるのです。

2月15日は涅槃会

 2月。春の足音が聞こえる季節になりました。すこし注意してみると、寒い中にも、鳥の声、花の香り、日差し、小さな芽吹きを感じ取ることができます。
 2月15日は何の日でしょう。
 涅槃会、お釈迦かさまが亡くなられた日です。お釈迦さまが真の涅槃に入られた日です。仏教徒の私たちは知っておきたい大事な日です。お釈迦様の亡くなられた様子を描いた涅槃図をご覧になったことはおありですか?。
 クシナガラのサーラの樹下に横たわられるお釈迦様のそばに阿難尊者をはじめとするお弟子がた、そしてその周りには多くの動物たちが悲しみの涙を流しています。花を捧げ持ったサルもいます。象もいます。ムカデもいます。蛇もいます。木々、植物までもが悲しんでいます。いのち皆が嘆き悲しんでいます。
 これは何を表すのでしょう。
 お釈迦さまの説かれた仏教はすべてのいのちに向けられた教えであったということです。人間だけの救いを説いたのではありません。無量寿経には羽根が生えて飛ぶ虫も、地をはい回る虫もみな仏にさせたいと願われています。すべてのいのちが輝くことを願われたのです。
 今私たちの生き方はどうでしょう。自分だけ自分の国だけ、人間だけ、そんな方向に向いているのではないでしょうか。
 南無阿弥陀仏のお名号は阿弥陀さまから私に向けられたものですが、同時にすべてのいのちがともにかがやくよう、すべてのいのちに向けられた呼び声であるのです。
南無阿弥陀仏

浄土真宗はよろこびの宗教

 親鸞聖人は私たち迷いの凡夫が浄土に生まれ仏になる道を示してくださいました。地獄にしか行きようのないこの私、永遠に迷い続けるしかない私が、お念仏によってお浄土に生まれる身にさせていただいているのです。
 浄土真宗はよろこびの宗教です。親鸞聖人の書物には、そしてお経にはよろこびの文字が溢れます。教えに遇えたよろこび、地獄行きの私が仏になる身にさせていただくよろこび、浄土に生まれ、再び還ってきてあらゆる人を導くことのできるよろこびです。
 人と比べて、人の不幸と比べてよろこぶのではありません。お金が儲かったとよろこぶのでもありません。健康でよかったとよろこぶのでもありません。
 仏にさせていただくことをよろこぶのです。ところがなかなか私たちは仏になる身をよろこぶことができません。唯円さまもそのことを親鸞聖人に尋ねました。「そなたも素直に喜べないか」「わたしもそうだ」と聖人は答えられます。煩悩があるからです。煩悩があるからこそいよいよ如来さまの救いが確かなのです。そういう凡夫を救おうとされるのが阿弥陀さまなのですから。
 こんな罪悪深重の身がお浄土に生まれることができる。このよろこびを伝えてゆくことが私たちのご恩報謝です。 
 願わくは、この阿弥陀さまのおはたらきをひろくどんな人にも分け隔てなく伝え、同じように仏を目指す心を起こして、ともに往生浄土の人生を歩みたいものです。
 南無阿弥陀仏

本当に神仏を拝んでいますか

 寒いお正月です。どんなに寒くても阿弥陀さまのお心が届いて、心あたたかです。
 この季節、各地の神社やお寺は初詣の人で賑わい、またそういう報道がなされます。では多くの人は何を拝んでいるのでしょうか? 
 
 本当に神仏を拝んでいますか
 欲望を拝んでいませんか

 もしかしたら、神仏に手を合わせているのではなく、自分の欲望や願い事に手を合わせていませんか? 手を合わせる先の神さまや仏さまはどんなお方でしょう。本当に願い事を叶えてくださるお方なのでしょうか? 
 私たちが手を合わせる阿弥陀さまは願いをかなえてくださる仏さまではありません。私たちを常に慈悲の心であたたかく照らしてくださる仏さまです。私が手を合わす前から私を心配してくださっている仏さまです。私の本当の姿を知らせ、私のいのちの行き先を示してくださる仏さまです。
 私の本当の姿とは、自分の都合を優先し、自分のこと、自分の欲望しか見えない愚かな迷いの凡夫であることを気づかせてくださいます。そして、そんな私でるからこそ、念仏して浄土に生まれる以外、仏になる道はないぞと示してくださるのです。阿弥陀さまのおはたらきのおかげで、この煩悩の身が浄土に生まれ仏に成らせていただけるのです。そのお礼が南無阿弥陀仏のお念仏です。だから私たちは阿弥陀さまに手を合わせるのです。
                                   南無阿弥陀仏

思いどおりにならなくて

11月にはインフルエンザで子どもの通う厚南小学校でも学級閉鎖が相次ぎました。楽しみにしていた文化祭中止になり、残念がっていました。 
「何で中止になるんかね、思い通りにならん、ならん」と、あんまり言うもんだから、
「大人になったらもっと思い通りにならんこともいっぱいあるよ。でも、全部、自分のこころの思い通りになったら怖いこともあるんじゃない? デスノートって言う映画、見たよね!死に神にもらったノートに殺したい人の名前を書いたら死んでしまうんだよね。心の中には恐ろしい心も死んでいるから何でも自分の思い通りになったら、怖いこともあるんじゃない?」
といいました。
 北海道の坊守さんで47歳で亡くなられた鈴木章子さんというかたがおられます。病院のベッドでたくさんの詩を書かれています。その中にこんな詩があります。

 あーあ
 思いどおりにならなくて
 ほんとうに よかった
 こんな汚い根性で
 思いどおりになっていたら
 何人 人を殺したやら……
 何人 敵をつくったやら……

 私たちの心の中は怖いことも考えます。思い通りにならない中で、鈴木さんは本当の自分に気づかれました。そんな恐ろしい自分をも仏にさせるというのが阿弥陀さまのお誓いです。人生、最後は思い通りにならなりません。そんな私がお浄土に生まれ仏に成るのです。お念仏申すところ本当の自分と、その行き先が知らされます。   
                            南無阿弥陀仏

浄土に生まれる身

 今年のノーベル平和賞はオバマ大統領でした。受賞が決まったニュースを見ておそらく多くのかたが「まだ何もしてないのに」「一言いっただけなのに」と思われたことでしょう。これからの平和に向けての努力を促すこともあるでしょうが、もう一つ、受賞によってオバマさん自身、そして平和賞をいただいた大統領のアメリカ政府の自重をもとめるねらいがあるのでしょう。もしオバマさんが軍事行動を起こしでもしたら、「ノーベル平和賞をもらった人がそんなことをしていいのか」と世界中の人々から声が上がるでしょう。そんな声が上がらないような行動を求める多くの人の思いがあの受賞となったのでしょう。私たちも地球に生きる一人の人間として平和な社会の実現に努力せねばなりません。
 このニュースを見て、お念仏いただく私の人生を重ねました。
 お念仏いただくものはお浄土に生まれることが決定します。お念仏申すとき、今ここに浄土往生、そして必ず仏となることが約束されるのです。十方衆生を救おうという阿弥陀さまと同じさとりが約束されるのです。まだ何もさとりに至る行いはしていないのに阿弥陀さまのお心を受けとったから仏になることが決まるのです。私の人生の歩む方向が決まってきます。
 「お浄土に生まれ仏にさせていただくの人がそんなことしていいのか」と言われないような人生を送らせていただかねば成りません。浄土に生まれる身としての歩み、仏の願いに応える人生をおくりたいものです。 南無阿弥陀仏

紅葉によせて               青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光

 モミジが色づいてきました。日中のあたたかな日差しと朝晩の厳しい冷え込みが鮮やかな紅葉となります。蓮光寺の紅葉の見頃は11月中旬頃からになるでしょう。どうぞ境内散策して紅葉をお楽しみ下さい。
 先日、大分県の久住山にのぼりました。中腹から山の頂にかけては紅葉真っ盛りでした。紅葉と一口に言ってもさまざまな色合いがあります。ハウチワカエデは紅に染まります。ウルシ、ヤマボウシも赤。久住で一番多い赤はドウダンツツジでしょう。ブナは茶色。黄色にそまるイタヤカエデ。コシアブラ

大船山の紅葉
大船山の紅葉

は白く色が抜けたようになります。同じ木の種類でもはえている場所によって色の濃淡もあります。また同じ一本の木でも日当たり具合などで、どれ一つとして同じ色はありません。そして山には紅葉しない常緑の杉やモミの緑が一層紅葉を引き立てます。
 山全部が一色に染まると言うことはありません。それぞれが他の色を否定するのでもありません。いろんな色があるから美しいのです。
 阿弥陀経に「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」とあります。青、黄、赤、白、それぞれの色がそれぞれの輝きを放っているから美しいのです。それがお浄土の世界です。
 しかし私たちの世界を見てみると、同じ色に染めようとしたり、他の色を否定するようなこともあります。それぞれの違いと個性を認め、それぞれの輝きを大切にし、そして各々が調和して輝いてほしい。それが私たちへの浄土からのメッセージです。その浄土のはたらきに応えるような人生を歩み、そんな社会をめざしてゆくのが私たち仏教徒の歩む方向です。

8月6日を迎えて                       

ニューヨークの親鸞聖人 
ニューヨークの親鸞聖人 

ニューヨークに親鸞聖人が立っていらっしゃる。本願寺派の寺院、ニューヨーク仏教会の前である。
 8月6日は広島原爆の日。当蓮光寺の伊東哲城も原爆で亡くなっている。
 爆心地から2.5キロの地で被爆した親鸞聖人の銅像があった。被爆の一部始終を見つめた親鸞聖人である。像の制作者と国連のあるニューヨークで平和を訴えようという人々の悲願によって海を渡った。そして今もお念仏の心と平和へ願いを静かに訴えている。
 8月5日午後7時15分(日本時間8月6日午前8時15分)ニューヨーク仏教会の鐘が鳴らされ、親鸞聖人像の前から『ピース・ウォーク』が始まる。St. Paul 教会・St. Andrew教会までの平和を訴える行進である。
 阿弥陀さまは日本人だけ、仏教徒だけを救うというのではない。肉親だけを成仏させようというのではない。十方衆生、すべての人を仏にさせたいと願っておられる。
 8月6日は思想信条、民族、国境を超えてみんながつながりあえたら、そんな思いをみんなが心新たにしたい。

阿修羅さまの眼差し

 9月27日まで、九州国立博物館で阿修羅展をしています。
興福寺の阿修羅像がメインの展覧会です。普段はガラス越しにしか拝観できませんが、この度は遮るものはなく、しかも後ろからも拝むことが出来ます。
 阿修羅は修羅。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、の6つの迷いの中の修羅です。修羅場という言葉があるように、戦い、戦争、争いの迷いの境涯をあらわします。他にもいくつか彫刻がありますが、一般に猛々しい怒りの形相であらわされます。ところがこの興福寺の阿修羅像は、憂いを含んだ優しい表情です。専門家や芸術家は天平の美少年などといろいろな言葉で表現します。 
 私は、こう思います。阿修羅は今まで怒りにまかせ、戦い、争いに明け暮れていました。多くの人を傷つけ、涙を流させてきました。しかし仏さまの教えに出遇い、心から悔いて仏の教えを聞く身になりました。そしてその後は未だ争い続ける人々を見て、どうか愚かな争いをやめてほしい、これまでの私のような罪深いことはやめてほしいと手を合わせ、涙をこぼさんばかりの悲しい眼差しでじっと見つめておられるのではないでしょうか。私はこんな風に受けとります。
 その眼差しの先にあるのは誰でしょうか。遠くの人ではありません。家族の中で、職場で、地域でこれは正しいと自分を主張し、その自分勝手な正しさをふりかざして周りの人を傷つけている私です。周りの人の涙を流させている私ではないかと気付かされました。そんな私にどうか仏の教えを聞いてほしいと悲しみの涙を流しながら手を合わせておらせる阿修羅さまです。阿修羅さまの眼差しはほかの誰でもなく、私に向けられているのではないでしょうか。

五劫思惟阿弥陀像を拝観して

 先日、僧侶の研修旅行で奈良の五劫院をたずねました。ご本尊は阿弥陀如来、それも五劫思惟阿弥陀とよばれる仏さまです。
 二メートルのお座りになった阿弥陀さま 。お顔はふくよかで、螺髪と呼ばれる髪の毛は伸びに伸びてお顔を被わんばかりです。
珍しい仏さまです。なぜそんなに髪が伸びたのか。それは阿弥陀さまは法蔵菩薩とよばれる時、すべてのいのちを救い、仏さまにさせるためにどうしたらよいか五劫というとてつもなく長い間考えに考えられました。五劫。一劫とは、縦横高さ四十里のとてつもなく大きな硬い石がある。百年に一度天女が降りてきて羽衣でなでます。また百年したら一回なでます。それを繰り返し、石が摩擦でなくなる時間を一劫といいます。その時間を五倍したのが五劫です。五劫の思惟を重ねて髪が伸びたのです。そののご苦労をあらわす像です。お正信偈に五劫思惟之摂受とあります。
 これほどの長さは何をあらわすのでしょうか。ある方は思案の頂上といわれました。最高のものを考えられたということでしょう。お念仏はそこまでして出来たものです。もう一つ、そこまで思案をかさねなければ救われない私の罪深さを示すものです。罪深い私が阿弥陀さまにご苦労をかけているのです。私のためにご苦労いただいている阿弥陀さまのお姿でした。
 親鸞聖人は「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」とおっしゃっています。 南無阿弥陀仏

浄土に生まれるいのち

本願寺は、癌などを告知された方の緩和ケア病棟を京都に建てました。阿弥陀さまの願いに基づいた終末期医療、緩和ケアを行います。やすらぎの場所、安息の場所という意味でビハーラクリニックといいます。死を前にした人々の悩みを聞き、阿弥陀さまの光の中にあるいのちであること、浄土に生まれるいのちであること気付いていく病院です。その病院に常駐する僧侶坂本氏はこんな言葉を教えてくれました。

 未来を失うと
 今の意味も失う
 浄土に生まれる
 いのちと定まる時
 生きる意味がわかる

 「もう治らない」という告知は未来を失うことです。未来を失うということは、同時に現在の生きる意味も見失うことです。もし私のいのちが死で終わりなら、未来はありません。生まれて死ぬだけのいのちであれば、私たちの今は空しいだけでしょう。
 しかし、阿弥陀さまは「我が国に生まれんと思え」と浄土に生まれるよう、はたらき続けてくださいます。そのお心を南無阿弥陀仏といただくとき、私のいのちは浄土に生まれるいのちとさせていただきます。浄土に生まれるいのちと定まるとき、今のいのちの意味がみえてきます。たとえ数ヶ月のいのち、いや今生のいのちの長短を問わず、浄土に永遠のいのちをいただく身となり、阿弥陀さまのおはたらきのお手伝いをさせていただくいのちと気付かされるのです。 南無阿弥陀仏

仏法を学ぶ

 5月、新緑が美しい季節です。新緑を眺めているだけで心あらわれるようです。新緑にこちらの心もやすらぎの気持ちにかわります。
 仏法を聞く、仏さまのお心に出会うと、私の心もかわります。
 仏法を聞く、仏法を学ぶとは、どういうことでしょうか。
 鏡をご覧になることがおありでしょう。「鏡を見る」といったとき、それは自分の姿を見ることです。あの鏡は丸だった。きれいだったでは、鏡に映った自分は見ていません。本当に鏡を見たことになりません。鏡に映った自分の姿を見ることが鏡を見るということです。

 鏡を見るとは
 自分の姿を見ること
 仏法を学ぶとは
 自己を学ぶこと

「仏法を学ぶ」というのも同じです。教えはこうだ、ああだといっても、自分を抜きにしていては単なる知識に終わってしまいます。仏教の知識を身につけるだけであれば、その知識の多さを自慢し、人に対して傲慢になるだけです。
 本当に仏法を学ぶとは、仏法に照らして自分の生きざま、自分を見つめることが仏法を学ぶということです。
 善導大師はお経は教えであり、鏡のようであるとお示し下さいました。お経はお釈迦さまのご説法です。経文の一言一言は私へのご説法です。今の私の生きざまを照らしてみたときはじめて生きてくるのです。自分を見つめ、自分を知ることが仏法の出発です。自分中心にしか生きていなかった私が知らされ、慚愧の心が生まれます。そしてそんな私が仏法に遇えてよかった、仏になる身にまでさせていただくことを喜ばせていただくのです。
                   南無阿弥陀仏

はなまつりに寄せて

 4月8日は、はなまつり。お釈迦様のお生まれをよろこび感謝する日です。お釈迦様がこの世にお出ましになったおかげで私たちが迷い続けることなく、さとりの世界へ生まれゆくことができるのです。お釈迦様誕生ありがとうございます。
  今からおよそ2500年前、お釈迦様はルンビニーの園でおうまれになりました。誕生になられたとき、四方に七歩歩いて、天上天下唯我為尊三界は皆苦なり我まさにこれを安んずべし。と言われ、天は感動して甘露の雨を降りそそいだ、と、後の伝記に伝えられます。はなまつりで甘茶をかけるのはこの伝記にもとづくものです。
 七歩とは、迷いの六道をこえ、さとりの道に入られたということです。天上天下唯我為尊とは、決してひとりよがりの自己主張ではありません。なぜ尊いのでしょう。それは後にお釈迦様がさとりを開かれ、人々の苦悩を取り除かれたからです。だから後の人が天の上にも天の下にも尊い存在となったと讃えたのです。苦しみに満ちたこの世界の人々を本当の安らぎの境地に至らせたいとはたらき続けられたからです。
 私たちは多くのご縁がそろって、いま仏法に出会うことができました。お釈迦様がおられたからこそ、阿弥陀さまの教えが説かれ、いまこの私がお念仏もうさせていただくことができるのです。苦しみの多い人生がやがてさとりのお浄土へとつながることができるのです。
 お釈迦様お誕生ありがとうございます。          南無阿弥陀仏

暦に振り回されない人生を

 元旦に3人の方が亡くなられました。1月3日には、その三つのご葬儀をつとめました。
人間の生老病死は暦には関係なく、いつ訪れるか分かりません。お正月だからといって待ってはくれません。いつ訪れるか分からない死。だからこそ今、阿弥陀さまの確かなお救いを聞いておかねばならないのです。
 暦は人間が自分たちの生活に便利なように作ったものです。たしかに新年という区切りは私たちの生き方を見つめる上で大事な節目です。今年こそと計画を立てたり、親族のつながりや宗教的なけじめをもこの暦によって生きてきます。
 一方で、暦の中には人間の都合を優先し、占いやまじないから作られたのもあります。友引や大安などの六曜や、土用などです。人間の行動を縛り、大事なものを見失ってしまうこともあります。
 友引にお葬式を延ばし、今日すべきことを明日に伸ばし人生をもったいなく過ごしていませんでしょうか。地面への杭うちを先に延ばし、もったいない人生を送っていませんでしょうか。人間の作ったそんな不確かなものに振り回されて大事なことを見失ってはなりません。
 新年は心を新たにして、私の今年の根本問題=生老病死を考えていく出発にしたいものです。

本当のよろこびとは(2)

 息子のけが以来、本当のよろこびとは何か少し考えています。
今までにも私は、縁ある方のお見舞いに何度か病院に足を運んでいます。そんな時耳にし、口にするのが「これぐらいでよかった」「大変な人もいるのに、軽くてすんでよかった」という言葉です。これらの言葉は、皆、他と比較して安心している言葉です。特定の人でないかもしれません。でも、比べるということは、比べられる人がいるということです。
 ご門主さまはこう言われています。「比較して喜ぶということは、逆にくらべられる人にとってはたいへん辛く、悲しいことです。まことのよろこびとはいえないと思うのです。」(大谷光真『まことのよろこび』本願寺出版社)
 平成九年、神戸でサカキバラセイトと名乗る中学生が続けて小学生を襲った事件がありました。最愛の娘彩花ちゃんを亡くした母親山下京子さんは、
「私にもありがちですが、他の不幸な人を見て「私はまだあの人よりはマシだ」と考えることはできるだけ避けたいと思います。不幸の度合いを測るものさしなどあるはずもなく、人の不幸と対比したわが身の幸福などあり得ないのです。いつまでも「あの人よりはマシ」と思い続ける人生は、やがて自分をどうしようもないところに追い込んでいくように思われるからです。」(山下京子『彩花へ生きる力をありがとう』河出書房新社)と手記に書いておられます。
「あの人よりはマシ」と比べる生き方は、自分より不幸な人、気の毒な人を探して満足する人生になってしまいます。他の人と比べて感じるよろこびは本物ではありません。
 子どものケガをきっかけとして、人と比べて喜んでしまいがちな悲しい人間であることを思いました。自分の都合でおかげさまとよろこび、自分勝手なよろこびに終始しているわが身であると思い知らされました。「よろこび」「幸せ」をお念仏のみ教えに照らしていかにいただいていくか、本当のよろこびとは何か、考えねばならない気づかせていただきました。

本当のよろこびとは(1)

 10月22日夕刻、出先から帰ってくると、4年生の息子がケガをして病院に行ったことを知らされました。しばらくして妻から電話がありました。「友達と遊んでいて、高いコンクリートの崖から落ちた。手を2カ所骨折して入院。手首と上腕部。今手術室に入った。」とのことでした。大丈夫なんだろうか、右手か左手か、他にケガはないのか、頭は打っていないのか、なぜ落ちたのか。いろんな事が頭をめぐりました。
 現場に行きました。信じられないほどの高さです。5〜6メートルはあります。なぜこんなところで遊んでいたのかと思いました。
 病院に行き、病室に戻った息子に会いました。酸素マスクをかけ、左腕を固定していました。「何であんなところで遊んでいたの?」私の口から出た言葉は、息子の痛みに寄り添う言葉ではなく、怪我をした原因を突き止めようとする言葉でした。子どもの行為を責める言葉でした。私の姿勢は、子どもの思い傷みを聞く姿勢ではなく、子どもの行いを教え諭そうとする姿勢でした。

 痛みに耐えかねている息子を見ながらも、私自身、どうにかして心を落ち着けよう、安心しようと考えていました。右手でなくてよかった。頭を打って無くてよかった、いのちに別状が無くてよかった。「よかった」・・・それは現状よりも、もっと悪い事態を想像し、比べて安心しているに他なりませんでした。子どもの痛みの声に耳を傾ける姿勢ではありませんでした。
 おそらく息子はこう叫ぶことでしょう。「よかったなんかじゃない、僕は今痛いんだよ!」
 子どものケガをきっかけとして、痛みの声に耳を傾けず、一方的に教え諭すばかりの立場ではなかったかと知らされました。
 阿弥陀さまは一切私の耳に聞こえる言葉では話されません。その場しのぎの慰めの言葉はかけてはくださいません。私のように煩悩の混じった独りよがりな比べての言葉ではなく、心に届く真実の言葉「南無阿弥陀仏」と届け、常に慈悲のこころで寄り添ってくださいます。

八万の法蔵を知るというとも

  八万の法蔵を
  しるというとも
  後世を
  しらざる人を
  愚者とす
 
     蓮如上人

 仏縁が深まると仏さまの光の中にお念仏申す人生が恵まれます。ご聴聞をかさねるとたくさんのお経の言葉や教えがわかってきます。大変尊いことです。
 しかしそこに落とし穴もあります。多くのことを知ると、その知識を誇り、ときにまだ仏縁が熟さない人を「あの人は聴聞が足らない、何も知らない」などと見下してしまうこともあります。
 蓮如上人は「八万の法蔵をしるというとも、後世を知らざる人を愚者とす」つまり、どんなにたくさんのお経の文言を知り、教えを解釈しても、私の行く先を知らない人は愚か者であると述べられました。さらに、いのちの行方がお浄土にうまれ、仏となる身にさせて頂くことをはっきり承知しておられる人は、たとえ文字をも知らないひとであっても、智恵ある者であるとお示し下さいました。
 知識は自分の賢さを誇るためではなく、仏さまの大悲心を学ぶ手助けになるものです。知識で救われるのではありません。阿弥陀さまのおはたらきによって救われ、お浄土へ歩む身とさせて頂いているのです。
 お念仏申すところ、知識の危うさにも気づかされます。光明に照らされて我が闇の深さに気づきます。
  

お浄土へ行く準備

お彼岸、彼岸とはお浄土のこと。お浄土に思いを寄せて過ごさせて頂きましょう。
 先立たれた方の言葉、あなたの忘れられない一言は何ですか。今はお浄土に行かれた懐かしい方の一言を思い出してみましょう。
 昨年、お世話になった先生が、ガンでなくなられました。その先生の一言を紹介します。
 息子さんはある時、主治医の先生から呼ばれました。お父さんの癌は転移が進み、もう治療が出来ません。抗癌剤の投与ももうやめましょう。とのことでした。治療の中止。それは、そのまま「死」の宣告でした。このことをどうお父さんにつたえるか、悩みながら病室に戻ると、布団をかぶりながら私を見ているお父さんの姿。
  不安そうな目で見つめながら「先生の話はなんじゃったかいの」と、たずねられました。その目を見ながら先生のお話をどういう言葉で伝えたら良いか、なかなか適切な言葉が見つかりませんでした。何故なら、どの言葉を使ってもそれは「死」を伝えること以外にないからです。考えて、考えて、
「お父さん、お浄土へ行く準備をしてください」
やっと出た言葉でした。
お父さんは「そうか」と天井を見上げ、
しばらくして 一言
「息子よ、お浄土へ参るには準備は必要ない、ただ阿弥陀さまにまかせるだけだ」
とおっしゃったそうです。
 そうです。お浄土は阿弥陀さまがご準備下さっているところ。自分では死に様も長生きもどうにもならないこのいのちを阿弥陀さまはすべてお見通しで、常に照らしまかせよと呼びかけ下さっているのでした。必ずお浄土に生まれさせて仏にさせると阿弥陀さまは誓われているのです。
 いのちの行く先を心配する私に、心配するなちゃんとお浄土を準備してあるからとよびかけてくださっているのです。                      南無阿弥陀仏

お盆の過ごし方

暑い時期を迎えました。まもなく「お盆」。故郷を離れ、都会や遠方で暮している人たちも、「お盆」の季節になると、生れ育った土地へ帰省し、お寺やお墓に参って亡き方々を偲びます。亡き方々が伝えてくださった尊い仏縁です。普段気付くことの少ない亡き方のこと、仏さまのことを考える大事な機会です。 
亡き方はどこへ行かれたのでしょうか? 草葉の陰、冥土、天国、浄土、それとも・・・。少し思いをはせてみてください。そしてこのことを通して、私はどこへ行くのか、死んでおしまいなのか、自分のいのちのあり方、人生を顧みる機会としてお盆を過ごしてみましょう。
 「どこに行く?そんなことどうでもいいじゃないか。今が楽しければ・・・」
 そういう答えもよく耳にします。でもこれでは、目の前の楽しみのみを得ようとする人生、目先の楽しさで人生の現実を覆い隠し、先を見ようとしない生き方なのかも知れません。
 今さえよければ、自分さえよければという独りよがりな生き方は、他者とのつながりに目を向けず、他者を傷つけ、自らも傷つくことになっていないでしょうか。
 マラソンはゴールを目指してこそはじめてマラソンとなります。ゴールもない、方向も定まらないマラソンを仕方なく走るのは苦痛、徒労以外の何ものでもありません。
 行き先、目的のない人生は、いくら目先の楽しみでごまかしても、ごまかしきれない不安を抱えたまま、むなしく終わって行かざるを得ません。
 お盆は亡き方を供養するのではありません。亡き方のお導きに遇わせていただくのです。お盆は亡き方の行かれたお浄土を問たずね、自分自身のいのちの行くお浄土のおはたらきを聞いて行く大切なご縁なのです。                     南無阿弥陀仏。
                                    2008.7.20

縁次第で何をするかわからぬこの身   〜アフガニスタンの悲報を聞いて〜

アフガニスタンから悲しいニュースが伝えられました。
 民族、宗教、国境を越えて農業を指導し、生きることを伝えようとしていた伊藤和也さんが殺されました。悲しいことです。
 「正信偈」に印度西天之論家〜とあります。西天とはパキスタン・アフガニスタンのことです。私たちはこの地で活躍された天親菩薩の教えを受けて、今お念仏申しているのです。
 アフガニスタンはかつて、最も仏教が栄えた国です。7世紀に玄奘三蔵が仏教を求めて訪れた時にはバーミヤンには50メートルを超す大仏が金色に燦然と輝き、多くの人が仏さまを敬っていたことが記録に残っています。
 そのころ、アフガニスタンの山々は緑濃く木が生い茂り、農地は豊に実り、人々は仏の教えを心の支えに、敬いあい助け合う生活を送っていたことでしょう。
 しかし、今アフガニスタンは、内乱をきっかけに大国の軍事干渉を受け、国土は荒れ、人身もすさみ、食料より、鉄砲を手にしていがみ合い、殺し合う国になってしまいました。
 伊藤さんを殺したひとも、悲しみの涙を流した人もともに先祖はおそらく仏教徒であったことでしょう。しかし仏教の教えはその人まで伝わらず、廃れてしまいました。
 人の心には鬼が住んでいます。縁がそろえば、何をするかわかりません。鉄砲を手にすれば人をも殺しかねないのがこの私です。
 阿弥陀さまはそんな私を心配してお浄土から立ち上がられ、どうか人を傷つけないで欲しい、罪を犯さないで欲しいと私たちを照らして下さっているのです。危なっかしい私たちにお念仏申し、合掌してくれとはたらいてくださっているのです。        南無阿弥陀仏

うれしいときもお念仏 うれしいときこそ手を合わせ

 先日、蓮光寺本堂で仏前結婚式が執り行われました。
 家族・親族の見守る中、白のタキシード、白のウエディングドレスのお二人が腕を組んで本堂に入場されました。住職の司婚の下、音楽でのお勤めを皆で唱和しました。
 司婚の住職が「お互いが思いやり、敬いの心を忘れず、よろこびも、苦しみも共にして、人生を歩んでゆくことを誓いますかとたずねると力強くお二人はともに「はい」と答えられ、これからのご夫婦の人生の歩みを阿弥陀さまに誓われました。
 お二人は様々な多くの縁によって出逢われ、すべての縁が整って結婚されました。そしてそろって仏さまに合掌するところから、お二人の歩みをはじめられました。大変尊いことです。仏さまを敬う手、お互いを敬い拝み合う手にしてくださればと思います。
 
 私たちのこの手はこれまでどんなことをしてきたでしょうか。様々なことをしてきました。文字を書き、ものをつくり、掃除もしてきました。しかし良いことばかりではありません。ものを壊し、人をも叩く、生きものも殺す、多くの悪いこともしてきた手です。
私たちはご法事を始め様々なご縁に手を合わせます。どちらかというと悲しみのご縁が多いようです。悲しいときは自然と手が合いやすいのでしょう。しかし嬉しいときは手を合わせるのはなかなか難しいものです。
 お念仏いただく私たちは是非とも嬉しいときに手を合わせたいものです。そんな時こそおかげさまでと手を合わせお念仏申したいものです。             南無阿弥陀仏

奪い合って食べるパン 分け合って食べるパン

暑いときも雨の時も、悲しいときも嬉しいときもどんなときも、お念仏するところに、阿弥陀さまのおこころを受けとることが出来ます。
 どんな人にもお念仏を伝えるお坊さんの仕事は多岐にわたっています。結婚式の司婚もつとめれば、平和運動の先頭に立つ方、福祉ビハーラ施設で死を前にしたかたにお念仏を伝えておられる方もあります。刑務所に服役している人に説法に行かれる教誨師をされている方もあります。
 新しくできた美祢の刑務所で、こんな話をされたそうです。
 「奪い合って食べるパンと分け合って食べるパン、どちらがおいしいでしょうか。」
 奪え合えば、少しは自分の腹はふくれるかも知れません。しかしこのことで空腹を感ずる人、いや食べられない人も出てくることでしょう。分け合って食べるパン、どんなにおいしいことでしょう。
 食べ物だけではありません。自分だけ、自分の地域、国だけはと喜ぶのは本物ではありません。平和もよろこびも資源もどんなものも分かち合ってこそ本物になるのでしょう。
 相田みつをさんに
   奪いあえばたらぬ
   分けあえばあまる
という詩があります。
 阿弥陀さまはすべての人に慈悲の心を与えておられます。この人だけ、あの人だけではありません。そのおこころを戴いて、私は今お念仏申させていただくのです。
 よろこびも、お念仏も、どんな人にも分け、分かち合い、共に生きて行く。自分だけが助かって喜ぶのがお念仏ではありません。お念仏のよろこびを分かち合ってこそ本当のよろこびになるのです。声に出してお念仏申すとき、隣の人にもお念仏のお心が広まります。 南無阿弥陀仏
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